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安達幸子: モルモン.

こんにちは,わたしは安達幸子です。

わたしについて

4人の子供の母親です。2人は結婚して独立しました。父の介護をしながら暮らしています。 一緒に住んでいる娘との他愛もない会話をすること、空いた時間に一緒に買い物に行くことなどが楽しいです。息子も夜勤があり大変ですが、帰って来て「疲れたー」などいろいろ話してくれるのも嬉しいです。以前の仕事仲間や学生時代の友人とも月に1度会ってリフレッシュしています。1年に1度集まる大きなグループもあります。

わたしはなぜモルモンなのですか

私が改宗したのは1977年4月14日の美しい春でした。幼い頃、人を羨ましがる自分の醜さが嫌でした。当時所々の家の壁にブリキに書かれた聖書の言葉が貼ってありました。それを見て、教会へ行けば心が清くなるのかな、とぼんやり考えていました。日曜日になると、教会の幼稚園を卒園した近所の子達が、聖書を持って出掛けて行く姿を、羨ましく眺めていました。それでも自分から教会へ行くことはありませんでした。 そして中学2年の頃大きな悲しい出来事が起こりました。大好きで尊敬していた祖父の死です。ゆうれいでもよいから、もう一度と会いたいと、どの位泣き続けたか判らない程の愛する人の初めての死でした。 そんな2つの思いが心の片隅にあったのでしょう。社会人として横浜で働いていた20才の2月に宣教師に出会い福音を知った時の喜びは、まさに光が注がれるようでした。当時姉と住んでいて、たまたま夜1人でいた時のことです。ドアをノックする音がし声が聞こえました。私はなぜか警戒もせずにドアを開けました。スーツを着た物腰の柔らかい、礼儀正しい2人の青年でしたが、声が非常に小さく何を言っているのか判りませんでした。やっと「教会」という言葉が判り、教会なら行ってみたいとすぐに約束をしました。たぶん、その日最後の訪問が私だったのでしょう。 そして教会に行ったときに紹介された独身成人の兄弟姉妹の眩しい位の笑顔と温かさに、一緒にいたい、自分もその様になりたいと御霊を感じました。自分は神様の子であり愛されていること、祖父と再び会えるという福音を知り変わることが出来ました。 他の教会へ行かずにこの教会に出会えたこと、20才で引っ越したアパートが教会に近かったこと、宣教師の訪問にドアを開けたこと、全てに時があり、神様の導きであることを証します。 そして、全ての試練は経験を得るため神様から来るものであり、それらを乗り越える力を頂き、今も主を頼り成長する祝福にあずかっています。 ですが、いつも元気でいられるわけではありません。つまずき自信を失った時、辛くなった時、教義と聖約84章88節に出会いました。「そしてあなたがたを受け入れる者がだれであろうと、わたしもそこにいるであろう。わたしはあなたがたに先立って行こう。わたしはあなたがたの右におり、また左にいる。わたしの御霊はあなたがたの心の中にある。また、わたしの天使たちはあなたがたの周囲にいて、あなたがたを支えるであろう。」伝道の聖句ではありますが、主の特質を感じました。主はそのようにいつも元気になれるように側にいて、励まして下さるお方であることを知っています。そのことに感謝しています。常に改心を続け努め成長し、主に近づいて行けることを知っています。主は生きていらっしゃいます。

個人の体験談

生活の中で祈りがどのような役割を果たしているかを説明してください。

決断しなければならないことが日々多くある中で、自分の頭だけで考えて行動してしまうことがあります。そうすると、失敗もあります。でも何事でも神様に「私はこう決めました、これでいいでしょうか」とお伺いして動くと、何かが違います。祈りの答えを感じないこともありますが、「神様に祈った」ことが力になります。神様はすべてをご存じで、私たちを見守って下さっています。実は私たちが失敗することも前もってご存じかもしれませんが、でもすぐに神様に心を向けるということが平安につながります。 自分だけで決めて動いてしまわず、立ち止まって神様に頼ることが必要だと最近よく感じます。そうすると、自分の中から出てきたのではない、もっと別の、でも確かな思いが心に入って来ることもあります。それが神様の導きなのだと思います。 以前本当に大変な、事件と言ってもいいようなことが私の人生に起こりました。とても焦り自分ではどう判断すればいいかわからなくなってしまったので、ある知人に電話で相談することにしました。しかし驚いたことに、その人に電話をかけたつもりが、別の人にかけてしまっていました。その瞬間、「この人は違う!」と感じました。最初に電話をかけようとした人に相談してはならないと感じたのです。そこで誰に相談すればいいのか、震えながら自分の言葉で本当によく祈りました。そのとき、ある人が心に浮かびました。そして、その人に相談したときに、間違いなく事が収まりました。後でわかったことですが、最初に相談しようとした人は、問題を起こした当人でした。その人に相談していたら大変なことになっていたと思います。 祈りは物事を判断するとき助けになります。神様に頼れることは本当に祝福です。

わたしの信仰生活について

毎週日曜日は教会に行きますが、午後からは父の介護のため途中で帰っています。しかし父が入院したため、午後に教会で開かれる女性の集まりに6年ぶりに参加することができました。 6年ぶりの集まりでは、部屋に入った途端、空気が違うと感じました。レッスンをしてくださる教師や会長会のみなさんの言葉がスーッと入って来て、こういう時間だったんだなという懐かしさを感じました。神様に召された方々の話をお聞きして、満たされた、とてもありがたい時間を頂きました。神様の存在を強く感じ、神様に助けを頂いた時間だと心から思います。 次の週はその集まりが終わる20分前から参加しました。途中からということで迷いましたが、なぜか出た方がいいという気がしたので、帰らずに参加しました。すると普段よりも積極的に参加しようという気持ちになり、とても高められました。祝福は神様がくれるもので、自分で決めるものではないことがわかります。流されてでも出れば、その分祝福が得られました。