mormon.org 世界各地
教会の人たち
わたしたちの価値観
わたしたちの信条
教会を訪問する
.
菅原史子: カラマーゾフの兄弟, 読書, 宣教師, 受験, 宗教, 真理, モルモン.

こんにちは,わたしは菅原史子です。

わたしについて

小さい頃は体が弱かったので、両親からは勉強よりも外で元気に遊ぶように言われていたこともあって、野球や相撲など男の子とよく遊ぶおてんば娘でした。おかげで結婚後も主人や娘むこさんとキャッチボールなどをして楽しんでいます。部活は女子の野球部がなかったので高校2年まで卓球部でした。 18才の時、受験勉強のため仙台へ移り住み、同年10月に改宗しました。その後20才で結婚し、6人の子供に恵まれ今4人が結婚して家庭をもっています。 甘いもの大好きなおばあちゃんで、長男がお腹にいた時の臨月時の体重を越えて久しく、今ではダイエットの言葉も遠くにかすんでしまっている感じです(汗) 主人定年退職後、待望の夫婦宣教師として、東京伝道部で1年半働き、夫婦の一致と絆を強め、またすばらしい方々との出会いにより高められ、又励まされ、帰還後もファミリーサービスや震災時には奉仕宣教師として働きました。 現在、末娘との3人暮らしです。

わたしはなぜモルモンなのですか

父がよく本を買ってきてくれたので、小さい頃から本を読むのが好きでした。中学三年の夏は分厚い『世界少年少女文学全集』を読みふけり、その影響もあってか、クリスチャンというものに良いイメージを持っていたように思います。 大学受験に失敗して、予備校に入るため岩手から仙台に来て下宿生活が始まりました。それでもやはり「何か」を求めて本を読んでいて、6月か7月頃だったと思いますが、ドストエフスキーの長編『カラマーゾフの兄弟』を読みきり、仙台の町を歩いていました。すると、外人の宣教師が地面に何かを書いたり、チラシを配ったりして伝道していました。一度通り過ぎましたが、興味があったので戻ってチラシをもらいに行ったのがこの教会を知ったきっかけです。 一応受験生だったので、英会話なら行きやすいと思い、何度か迷いながらもやっと教会を見つけ、英会話に通うようになりました。楽しく学んでいたある日、英会話のあともMIA(相互発達協会?)という活動にも参加してみようと開会行事が始まろうとしていた時、姉妹宣教師から勉強してみませんかと声をかけられ、「はいっ」と返事したのが始まりでした。 モルモン書(当時はモルモン経)は、歴史の苦手な私にとって内容はよくわかりませんでしたが、精神的な面でいいなと心に感じた聖句に印をつけながら読んでいきました。 70%位読み進んだ頃、当時十二使徒のブルース・R・マッコンキー長老をお迎えしての特別集会がありました。教義的なことが多く内容はよくわかりませんでしたが、帰りに一人一人と握手をして下さり、本当にやわらかく温かい手にすっぽりと包まれた時、特別な気持ちを感じました。その時から気持ちが少しずつ変化していきました。 確かにこの教会は良い教会だと思います。宣教師のレッスンも楽しいし良い気持ちを感じる。でも、良い所や良い気持ちを感じることは他でもたくさんあると思う。良い教会だから真実の教会であるとは限らない。何かこの中途半端な気持ちで教会に集うのはいやだ、「真実かどうか知りたい!!」と強い気持ちが湧いてきました。 私はモロナイ10:3~5の聖句を実行してみようと思い、下宿していた自分の狭い部屋に入り、生まれて初めて、心を注ぎだし、真剣にお祈りをしました。 「神様、もし神様が本当にいらっしゃるなら、どうか教えてください!このモルモン書は真実の書物ですか。この教会は唯一の真実の教会ですか…?」 祈り始めると、涙が溢れてきて今まで感じたことのない温かい気持ちでいっぱいになりました。ためらう気持や一切の不安が消え去り、平安に満たされ、確信だけが残りました。 (モロナイ10:4~5にはこのように書かれています。 また、この記録を受けるとき、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなたがたに勧めたい。もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。 そして聖霊の力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。) 当時18才だった私はバプテスマを受けるために両親の許可が必要でした。電車に乗り岩手の両親のもとに行って教会について少し説明し、許可してくれるようにお願いしました。 両親は最初、もっと他の宗教を学ぶことや、視野を広めてから決めた方がよいとか、将来結婚相手を選ぶのが狭くなるなど、いろいろ心配があり反対していましたが、翌日になると、いろいろ考えたらしく、「史子が幸せになるなら受けてもいい」と言ってくれました。トンボ帰りでしたが、行く時の電車の中から見た夕日の輝き、両親に感じた温かい気持ち、帰りのバスに乗った時、乗っていたすべての人に感じた温かい気持ちを今でも忘れることができません。 それから44年経った今、あの時はっきりと道を見いだした喜び、今までいただいてきた溢れる祝福を思い、福音を伝えてくださった宣教師の方々に、また彼らを送って下さった神様に心から感謝の気持ちでいっぱいです。

わたしの信仰生活について

戒めは、人を束縛し罪に定めるためにあるのではなく、人々に幸せや祝福を与え、自由にするためにあることを実感しています。プロの選手がルーティーンと称して基本的な準備をくり返し行っているように、私達も祈り、聖典や予言者の言葉を学び、安息日につどい、特に聖餐会で主と交わした聖約を思いおこし、清め、みたまをうけて生活することの大切さを感じます。 すべてボランティアで行う教会の奉仕は神様からみちびきや啓示をうけ神様をより近くにかんじ、自分に与えられた賜を発見し、のばし、人々に対して仕える方法を学び、愛を深め、信仰を築く成長の機会となっています。 聖典の中の言葉や預言者の言葉を自分にあてはめ、生活にとりいれようとする時、神様の愛を知り、また人々への愛と理解を深めサタンの誘惑から身を守る力を得ることができます。 その一例として、「家庭の夕べ」というプログラムがあります。