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さかもっちゃん: 舞台, 農業, キリスト教, 福音, 自信, モルモン書, モルモン.

こんにちは,わたしはさかもっちゃんです。

わたしについて

若い頃から、プロの音楽家や歌手などを呼んで地域でコンサートを作るというグループ活動をしていました。おかげで舞台構成など勉強になり、職場や教会で企画するときなどに役に立ちました。仲間にはさかもっちゃんと呼ばれ、楽しく活動していました。 今は子供たちに生の舞台を見せるためのサークルに入っています。最近は忙しくなり企画に加わったりはできなくなりましたが、託児というかたちでお手伝いしています。 仕事は農業です。農業を通して教会員を含めたくさんの人たちとつながっています。畑仕事には近所の子供たちもたくさん手伝いに来てくれます。農業やサークル活動、地元の付き合いを通して、人とのつながりが豊かになりました。そのつながりを農業に生かして、ネットワークを作りたいと思っています。多くの人々と手をつないで、何かあったときに地元の人々に食物の支援ができるくらい豊かになりたいです。

わたしはなぜモルモンなのですか

短大生の頃でした。街で自転車に乗っている外国人2人組のことを以前から耳にしていたのですが、その人たちが英会話を教えていることを聞いて、教室となる教会に遊びに行ったのがきっかけです。その人たちはこの教会の宣教師でした。英会話はもちろんですが、私たちの年代では外国人に会うこと自体珍しいことでした。 キリスト教の福音にも興味がありました。高校生のとき知り合いのつてで新約聖書をもらいました。高校の倫理の時間に、先生に「自分たちはどこから来てどこへ行くんですかね」と質問したら「それは一生かけても探せる課題ですね。私はまだ見つけていません。見つけるのは素敵なことですね」と言われました。それでこの教会はどういうふうに教えられているのかと思い、疑問に思っていたことをこの教会の宣教師に質問してみました。すると宣教師は全部答えてくれました。ほかの教会ではどんなふうに答えるんだろうと思い別の教会に行って質問してみると、その教会の祭壇の説明をされただけで教義の話は一つも出てきませんでした。ほかはだめかな、ここかな、と思いました。 改宗の決め手はやっぱり『モルモン書』だったと思います。『モルモン書』には神様の御言葉を種にたとえているところがあります。種(御言葉)は信仰を持って養えば芽を出して心に良い気持ちを与えてくれ、さらに養うと生長して木になり何にも勝る喜びをもたらしてくれると教えています。わたしは2年間の時間をかけて種を育てました。その種が育つには土となる自分が良くありさえすればいいのだとわかりました。自分がどういう土であるかが大切だとわかったときに、私は家族から離れることを考えました。私は教会に行くことについて、常に親の反対を受けていたからです。実家とは別の町に引っ越して、その町の教会でいろいろなことを教えていただきました。 『モルモン書』を読み、祈ったときにこの書物が真実であるとわかりました。私は常に親の反対受けていましたが、そんな中でも惹かれていくものはありました。知らないことがいっぱいあるのが面白く、『モルモン書』読むたびに新鮮な印象を受けました。どんなにぐらつくことがあっても『モルモン書』のその種のたとえのところを読むと、自分の生き方はこれで良いのかと再確認できました。この教会に対する湧き上がる確信は学生時代に得られました。

わたしの信仰生活について

家が教会から遠いところにあったこともあり、改宗後はめったに教会には行けませんでした。そのため教会員からすれば私は「お客さん」でした。 教会行っていない時期にいろいろなことがありました。まだ子供だった娘も教会に入って間もない時期で、その娘以外には家族に教会員はいませんでした。子供5人の9人家族を自分で切り盛りしながら、どうやって神様の助けを受けて行けばいいんだろう、と悩んでいました。自分にはどう判断すればいいかわからないような状態が長く続きました。教会の人たちは「いつでも助けます」とは言ってくれましたが、いざというときには助けを求められないことも多くありました。 このような状況では頼りになるのはやっぱり神様です。日々生きていく上での導きや助けを神様から受けて行きました。当時の毎日は神様に頼ることで楽になりました。 今は「揺るがない」というのはこういうことなんだなあという実感があります。やっと土台ができたと感じています。教会の中にも自分の居場所があると感じています。教会から離れていたとき色々な出来事がありましたが、教会に行っているこの生活が一番落ち着きます。教会に行けなかった頃は自分がどうすべきかわからないので常に祈っていました。助けをもらわないと解決できない問題もあったので葛藤もありました。今は揺るぎないものがあって、居場所もあります。 教会に行けないことで自分は何の価値もないと思っていたのですがそうではなくて、教会に行けない間に戦わなきゃいけない自分がそこにいて、そのことで忍耐力が培われたかなと思います。