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あきお: モルモン.

こんにちは,わたしはあきおです。

わたしについて

水道設備、住宅設備機器の卸問屋に勤めています。  仕事がオフで時間がある時は可能な限り映画を観ています。映画を観るとその世界に引き込まれるのでリラックスできます。  一緒に住んでいる家族は妻の母と、妻、長男、私の4人です。子供は2人で長男と自閉症の次男がいます。  次男との生活は色々なことに気付かせてくれました。息子は変わらないので、その息子に対して私達が変わるしか術がありません。世の中で無駄なものはない、息子は神様からいただいたギフトだと妻はいつも言います。それは理にかなったことで、私もつくづくギフトだと思います。  息子は現在施設で暮らしていますが、重度の障害のため以前は受け入れてくれる施設が見つからず20坪弱の家を八戸に建てて住まわせていました。日中はヘルパーさんにお世話をしてもらい、私は5, 6年前まで4年間、週に5, 6日仕事の後に息子の家で寝泊まりしていました。青森市で仕事していたので、青森から八戸まで毎日息子のところへ帰っていました。何があっても来なければいけないので、雪が降って車で来るのが大変なら電車で帰りました。  肉体的にはハードでしたが息子のためならという気持ちでした。神様の助けもあったからだと思います、気持ちの上では本当に楽しい日々でした。家に帰ると息子が堰を切ったように「お父さん話聞いてください」と30分くらい話し続けます。そのように待ってくれていたので、だったら何があっても帰って来ようという気持ちでした。親を励ましてくれたのかなと思います。  私達家族は救いの計画が大好きです。救いの計画がないとやっていられないという思いも正直あります。再びうちの次男と、それも健常な次男と会話するのを本当に楽しみにしています。息子は天のお父様のみもとに帰るチケットを持っています。だからチケットをまだ持っていない私達が、神殿に行ったり教会に行ったりすることを続けてきちんとみもとに帰るチケットを頂きたいとやっぱり思います。息子と再び会ったときにどんな会話ができるのだろうという希望を持っています。(「救いの計画」によると、死は終わりではなく、神様が私達のために立てた計画の中の次の段階の始まりです。そこではすべての人は復活して完全な体を得、病気や障害のない本来の姿になると教えています。さらに、家族はこの世だけで終わりにはならず永遠に一緒にいることができます。)

わたしはなぜモルモンなのですか

およそ45年前、小学4、5年生と記憶しています。曾祖母が亡くなり、初めて肉親の死を目の当たりにしました。田舎でしたので、遺体は近くのお寺に土葬していました。  当時の田舎の風習だったのでしょうか。私が先頭になり相父母が入れられた丸型の棺桶を引っ張り、その後を15名程度の大人が白い紐を引っ張りながら土葬するお寺まで歩きました。200Mもない距離だと思いますが、力一杯引っ張っても中々前には進みません。吹雪が舞う、凍てつく寒い日でした。誰かが逆に引っ張っているのではないかと何度も振り返りましたが、大人の人も皆前かがみになり力を込めて引っ張っていました。幼心に、曾祖母は冷たい水の中に沈められたくないのだろうと思いました。  その時感じた事は、人は死んだらどこに行くのだろう?死にたくない。死んだらあんな冷たい水が湧いている所に埋められるなんて耐えられないと思いました。初めて死に対する恐怖を感じた時でした。  高校受験の2ヶ月程前に父が脳溢血で倒れ、出稼ぎで働く父親以外に収入源がない我が家では普通高校への進学希望は断たれ、働きながら学ぶ定時制高校を選択するしか道は残されていませんでした。  4月からはかつての同級生とバス停で毎日顔を合わせるようになると「よッ、労働者」とからかわれる事もしばしば、真新しい鞄、制服、そしてピカピカの革靴。彼らが本当に羨ましく、自分が惨めでたまりませんでした。悲しい思いに満ち溢れていた高校生活を過ごしていたように思います。  自分の心の中には「このまま15歳から両親の面倒をみて行かなければならないのか」「自分の幸せを見出す事は出来るのだろうか、結婚はどうなるのだろう」と、自分の事しか考えられない、守備範囲の狭い自己中心的な高校生がそこにいました。当時は自分の給料が少し増えると、我が家で頂く生活保護の受給額が減るという現実を直視し、ありがたいけれど、辛いなー、幸せになりたいなー、お金持ちになりたいなーと日々思いが募りました。金持ちが成功の基準だと真剣に思っていたものです。  その時感じた事は、人は何のために生まれ、死んだらどこに行くのか。人生の目的はなんだろうと真剣に考えていました。  そんな高校2年生の10月のとある日曜日、いつものように唯一の楽しみであったウィンドーショッピング(お金がないので、窓越しに衣服や様々なものを見てイメージする)をしていた時に、1kmぐらい先の人ごみの中にいる2m近いアメリカ人が目に留まりました。彼らは何をしているのだろう。そんな思いで歩いているとやがて目の前に現れ話かけてきました。そして片言の日本語で「あなたは人生の目的について知りたいと思いませんか?」・・・・即座に「はい、知りたいと思います」と答えました。その事を考えながら歩いていましたので、そのアメリカ人の質問には衝撃を受けました。もっと驚いたのはその宣教師は私の答えに対してそれ以上の日本語が分からないという事でした。  先輩の宣教師と話をし、そのまま青森市北金沢にある教会に足を運びレッスンがスタート致しました。多少の緊張はありましたが、レッスン終了後には10人以上の姉妹達が本当に優しく接して頂き、こんな素晴らしい世界が身近に存在していた事、レッスンを受ける度に眼から鱗が落ちる様子が手に取る様にはっきりと分かりました。今では聖霊の力であると断言出来ますが、当時は知るすべもありませんでした。  DVDもビデオもない時代でしたので、スライドを1枚1枚、カセットテープの音に合わせながらセットし、その中で「幸福の探求」を紹介された時には自分の価値観が完全に誤っていた事に気が付きました。人の幸福は多くの財産を所有することではなく、また、地位や名誉を得ることが本当の幸せではないということを改めて学びました。  1976年1月、16歳の高校2年生にバプテスマを受けました。大好きだった茶も断ち、什分の一は大変勇気のいる戒めでした。40,000円の給与から4,000円を納める事は当時の我が家の家庭環境では大事件のように思えてなりませんでした。しかし、宣教師からは例外はない事、神様へどれだけ信頼を寄せる事が出来るか試されている事(マラキ書を実践)を学び、決意して納めました。(末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、収入の10パーセントを教会に献金することにより、聖書に書かれた什分の一の原則を実行しています。)

個人の体験談

家族の問題を福音の原則によって克服した具体例がありますか。

それから2年半が過ぎ、1978年7月にこの教会の青森支部で支部会長の召し(責任)を頂きました。高校を卒業し、ようやく自動車のセールスの仕事に就いて、辛うじて生計を立てておりましたが、展示会等が非常に多く、安息日をきっちり守る事は困難でした。支部会長の召しを受けた以上今のままで良いはずがないと思い、転職を決意しました。  20歳でひとみ姉妹と結婚し、長男が誕生する3ヶ月程前に勤めていた会社が倒産しました。貯えがない我が家で、給料が5ヶ月程前から遅配や半額支給が続き、食べるものも底が尽き、賞味期限の切れたものでも何でもトライする状況でした。家に帰ると両親が背中を丸めてひっそりとたたずんでいます。電気を付けても本当に暗い雰囲気の部屋だった事が忘れられません。今となっては楽しくも良い思い出になっています。  それでも什分の一の戒めは守りたいと思いました。本音は納めなくてもどうにもならないこの状況下でしたので、どうせ納めるのであれば、1 / 10とは言わず思い切って1 / 3や1 / 2の支給される分から納めました。  年金の無い両親、看護学校に通っていた妻、間もなく生まれて来る子どもの事。そんな状況の中で妻はいつも励ましてくれました。「食べ物なら何とかなるから、仕事を探すときは安息日をきっちり守れる職場を選んでね。お金がないからといって、高い収入を得るために安息日を守れなければ意味がない。支部会長の召しを一生懸命果たしてね」・・・・涙が止まりませんでした。  そんなある日、宣教師から食糧を頂きました。いくら問い詰めても私たちではないと彼らは認めません。しかし、一番後輩の宣教師に尋ねると都合悪そうに認めました。生涯宣教師へのお返しをしなければならないと決意しました。  青森支部の大勢の兄弟姉妹から助けて頂き、結果、普通に給料を頂いていた時よりも、食べるものも切らす事なく与えられていたように思えます。家族へ感謝、宣教師へ感謝、支部の会員へ感謝、そして神様に心から感謝しています。

わたしの信仰生活について

若いうちに多くの貴重な経験をさせて頂いた事。そして、強度行動障害を持つ自閉症の次男を頂いた事。現在自宅のある八戸から、青森の会社に所属する社員の中で、全国でただ一人だけ出向し、何から何まで対応しなければならない環境にあります。今思う事は、この世では何一つ無駄な経験はない事。全ての経験は徳を積むために神様から愛されているがゆえに与えられている事に気づかされます。  最近はこんなに愛されて良いのだろうかと思ってしまいます。福音生活が楽しくてしかたありません。  人は選択の仕方と心の向きで、人生をバラ色にも、灰色にも変える事が出来る事を学ばせて頂いているようです。  もし、救いの計画に信頼を寄せるなら、何事が起きても愚痴程度はあれ、怒りは起きないと思います。自身の不完全さで誤りは珍しくありませんが、どうしても赦せないと思ってしまう選択は極めて稀だと思います。教会のある指導者も赦す選択について近年頻繁に大切な原則を教えています。  試練を辛い出来事として受けるか、または拒絶し可能な限り回避する人生を選択するか。もしくは試練をギフトとして受け入れ、ありがたい贈り物ならば謹んで感謝の気持ちで受け入れる選択をするかでは人生は179°変わると思います。これを普通に自然体で体得させて貰えるのが福音です。こんな素晴らしいものを頂いている私達はどんなに幸せかをもっと認識する必要があるのではないかと思います。  人生は楽しく生きないと本当にもったいないと思います。現世で成長し更に幸せになるためには試練は不可欠なものだと思います。「不幸を知らないので喜びもなく、罪を知らないので善も行わず…しかし見よ…人が存在するのは喜びを得るためである」(『モルモン書』Ⅱニーファイ2 : 23-25)  また「現世は人が神にお会いする用意をする時期である」(『モルモン書』アルマ34 : 32)とある様に、人生の目的は神様のみもとに戻る準備期間です。神様のみもとに戻るためには、自分の事だけに集中した生活を送ると、常に問題(欲望、ストレス、トラブル、自尊心)が発生します。それを解決するための労力は半端ではありません。自分の事のために囚われる時間程もったいないものはないと思います。  もし、神様が提案するライフスタイルにチェンジすると「そして見よ、わたしがこれらのことを語るのは、あなたがたに知恵を得させるためである。すなわち、あなたがたが同胞のために務めるのは、とりもなおさず、あなたがたの神のために務めるのであるということを悟らせるためである」(『モルモン書』ヤコブ2:17)だから教会の中で召し(責任)があり、どれだけ自分自身以外の方々のために務める事が出来るかの試しがあるような気がします。  しかしながら、人生には不測の事態が付きものですから、分かってはいるものの涙を流さなければならない状況は普通に発生します。その時にこそ福音で培ったノウハウを実践するまたとないチャンス到来です。待ってましたとばかりに次の聖句をギフトとして自分にプレゼント出来たら楽しいと思います。  「さて、彼らの苦難は非常に大きかったので、彼らは熱烈に神に叫び求めるようになった。…そして、苦難の中にいる彼らに主の声が聞こえて、言われた。「あなたがたの頭を上げて喜びなさい。わたしはあなたがわたしと交わした聖約を知っている。わたしは自分の民と聖約を交わし、その民を奴隷の状態から救い出す。  またわたしは、あなたがたの肩に負わされる荷を軽くし、あなたがたが奴隷の状態にある間、あなたがたの背にその荷が感じられないほどにしょう…  そこで、アルマと彼らの同胞に負わされた重荷は軽くなった。まことに、主は、彼らが容易に重荷に堪えられるように彼らを強くされた。そこで彼らは心楽しく忍耐して、主の御心にすべて従った」(『モルモン書』モーサヤ24 : 10、13-15)  自分が若いころちょっと貧しい環境にあった事、そのために人生を真剣に考えられた事、定時制高校に通ったお陰でこの教会に出会えた事。そのお陰で素晴らしい妻に出会えた事。そして、自閉症の次男をギフトとして頂いたお陰で、救いの計画を明確にイメージ出来るようになり、終わりの日に完全な状態の息子に会い、父親として現世にあって最善を尽くせたかどうか、通常の会話を出来る事を楽しみに今を生きる事が出来ます。  全ての環境は神様が必要として与えて下さった事、全ての経験は徳を積むため、自分自身を磨くために与えられていること。謹んで、感謝の気持ちでこれから更に磨きをかけられる事に喜びを見出せるように福音生活をエンジョイしたいと思います。  父なる神様と、救い主の贖いに感謝し、イエス・キリストの御名により アーメン。