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阿部 国雄: モルモン.

こんにちは,わたしは阿部 国雄です。

わたしについて

妻1人と子供4人がいます。子供は息子が3人と娘が1人です。 今は妻と2人で暮らしていて、子供は4人とも独立しました。 孫に何かあったときに子供たちのところへ行くことがあります。またお正月や夏休みには孫と一緒に帰ってきてくれることもあります。孫は3人で、孫の成長は楽しみです。 仕事はいろいろしてきましたが自営で運送業をしていた期間が一番長かったです。

わたしはなぜモルモンなのですか

私は20代で改宗しました。仕事から帰ってきて晩酌していると2人組の外国人宣教師が家を訪ねてきました。よく来た、入れ入れと招き入れ、一緒に飲もうと誘いました。しかしウィスキーを飲むかと聞いてもコーラを飲むかと聞いても彼らは「飲まない」と言います。お茶すら飲まないと言うので一体何を飲むのかと聞くと「水をください」と言うのです。私は変わった人たちだと思い興味を持って世間話をしてそのときは別れました。そしてその後も宣教師の話を聞くことになりました。 宣教師は聖書とは違う聖典を持っていました。それが『モルモン経』(当時。今は『モルモン書』と呼ばれています)と『教義と聖約』でした。読んでみませんか?と言われ、私は本を読むのは好きだったので簡単に読んでしまいました。こういうことかと納得しながら読む中でわからないところに出くわすとそれをメモしていきました。しかし宣教師に質問しても「わからない」と言います。これは自分でもっと本格的に調べよう思いました。、いろいろと調べました。『モルモン書』よりも『教義と聖約』の方が難義でした。たとえばある教会員に「時の絶頂にイエス様がおいでになる」とはどういう意味かを聞いたところ、これは「時の中間にイエス様がおいでになる」という意味で紀元0年のことだと後でわかったのですが、その教会員は「時の絶頂は時の絶頂ですよ」と言われてしまいました。教会員は知らなくても「知らない」とは言えないんだなと思いました。教会はふつうの人の集まりです。 宣教師はわからないことがあると「わたしたちはわからないけど神様は答えてくれますよ」と教えてくれました。福音は人の教えではなく神様の教えだから神様に聞けばいいんだ、とそれによって私も少しずつ理解するようになりました。 宣教師さんたちは本当に良い人たちでした。私はお酒が好きだったので、お酒で事故に遭った友達の話などを聞くと「将来私もそうなるかもな」と自分でも思っていました。そして教会に行くようになってから、教会員は酒を飲まないということを知りました。すると不思議なことに酒を自然にやめることができました。このことは後で理解しましたが、当時宣教師と会っているときにいろいろと食事などを勧めても、今日は食べません、心配しなくても大丈夫です、と言っていたものでした。実は、宣教師さんたちは私が酒をやめることができるようにと度々断食してくれていたのです。このな経緯があって教会員になりました。

個人の体験談

あなたの生活に影響を与えた救い主の教えにはどのようなものがありますか。

大切なのは人ではなく神様に頼ることだと思います。教会の中の人を頼みにするのではなく神様に頼る、言い換えれば預言者に従うようにすれば、人につまずいて教会を離れたりしないのではないでしょうか。聖典もただ読むだけではなく、深い意味が理解できるように努めることが大切だと思います。

聖霊はあなたをどのように助けてこられましたか。

バプテスマを受けた当初、教会に行くために何人かを車に乗せて運転していました。当時は2月で雪が積もり、タイヤで雪が掘れてわだちができていました。運転していると突然「止まりなさい」という声がはっきりと聞こえました。後ろを振り向いて「誰か何か言ったか」と聞いても誰も何も言っていませんとの応え。その声を無視して走っていると、また同じ声が聞こえました。今度は無視せずに車を停めました。一緒に乗っていた人たちが不思議に思っています。そのままでいると正面から車が来て私たちの車に衝突しそうになりました。そしてブレーキをかけて滑りながら減速し、お互いのバンパーが接触するくらいで済みました。 当時はその声が何なのか全くわかりませんでしたが、後でそれは聖霊、御霊の声だということがわかりました。聖霊の導きは本当に重要であることがそのときによくわかりました。その後も類似する経験がたくさんあります。

わたしの信仰生活について

個人的に信仰生活を営む要素において一番必要であると思うのは、誰に対する信仰なんでしょう。 その宗教の開祖への信仰でしょうか。それとも幹部の方々でしょうか。いいえわたしはイエス・キリストに対する信仰が一番で有ると思っています。人に対しての信仰は失われる可能性があります。しかし神様に対する信仰には失望を受ける事は今まではありませんでした。これは私にとってとても重要なことです。