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ひとみ: 自閉症, 宗教, 神, 知的障害, 改修, ケアホーム, モルモン.

こんにちは,わたしはひとみです。

わたしについて

結婚34年目の主婦です。 家族は夫と、夫よりも老けて見える33歳の長男と、知的障がいと自閉症のイケメン次男です。

わたしはなぜモルモンなのですか

私には4歳上の兄がいます。兄はどうやら高校生のときに改宗したらしいです。当時高校生だった兄は毎週日曜日にどこかに行くようになりました。 ある日母が仕事の同僚の悪口のようなことを言ったときに、兄は「そんなこと言うもんじゃないよ、母さん」と母を諭していました。兄はそんなことを言うタイプではなかったので、一体どうしたのかと心の中で思いました。 一体兄は日曜日に何をしているんだという思いでその教会を探しに行きました。そして探し当てると私も日曜日に行ってみて、自分から宣教師から話を聞き始めました。中学3年生の頃でした。 宣教師の話はすんなりと入ってきました。私は小さいころに教会に行っていたことがあったので神様がいると聞いたことはありましたし、イエス・キリストといういい人がいるということも知っていました。宣教師の話を聞いて改めて、小さいころ聞いた話の意味がわかりました。宣教師に「バプテスマを受けませんか」と言われたときに「はい、受けたいです」と素直に答えました。 ところが私は当時受験生だったので母に高校生になってからにしなさいと言われ、返す言葉もなくそのときは諦めました。そして志望通りの高校に入ったものの部活がとてもハードで教会のことはすっかり忘れてしまいました。しかしあまりのきつさに部活をやめ、教会のことを思い出し、もう一度行ってみることにしました。 教会では思いがけず同じ学校の同学年の女の子と出会い、その子も宣教師の話を聞いていることがわかりました。そしてその子と意気投合し、一緒に宣教師の話を聞くことになりました。その後宣教師からバプテスマを受けませんかと言われたときに、彼女は「よくわからないから」と乗り気ではありませんでした。でもそのとき私は「私もこの教会が本当かどうかよくわからないけど、宣教師が『バプテスマを受けると聖霊の賜物というものをもらえる』と言っているよ。もらえるものならそれをもらってみようよ!」と言い、励ましました。 私も確かにこの教会が真実かどうかは確信がありませんでしたが、聖霊の賜物をというものをもらって、まず1年間は頑張って教会に集い、戒めをできるだけ頑張って守ってみよう、その次の年に教会に出れるかどうかはまた来年考えればいいじゃないかと考えていました。友達も、そう言うならという感じで2人一緒にバプテスマを受けました。そのときから38年経ちますが、その子とは今でもよい友達で、2人とも教会に集い続けています。

わたしの信仰生活について

我が家には27歳になる自閉症と知的障がいを持った息子がいます。そのへんにはいないくらいすごく重い自閉症で、知的障がいも重いです。3歳くらいのとき自閉症だとわかってから破壊、自傷、警察のお世話になるようなことまで何度もありました。息子は身長180cm体重80kgで、本気になって壊せないものはこの世にないくらいありとあらゆる物を壊してしまいます。このくらい激しい子となると施設は受け入れてくれません。相手の迷惑がわからず羞恥心のない、知的障がいのある180cmの息子と暮らすというのは想像を絶するような生活です。 今から4年くらい前のある日、息子は本気で私に向かってくるようになりました。命の危険を感じ、私が死んだら息子も生きていけなくなるので、まずは病院に息子を緊急入院させていただいて、その後の息子の生活場所を探しました。そしてついに重度の障害者でも受け入れてくれるケアホームが見つかりました。 彼が生まれてから施設に入るまでの24年間、我が家は本当に家族の思いと体力とお金のすべてを彼につぎ込んで、自分を犠牲にして暮らしてきました。 どの家にも「これさえなければ」と思うような問題や悩みがあると思います。しかしその中からしか大切なことは学べないと確信しています。これは家族の合言葉となっています。またこの世に偶然も運もないと確信しています。 この教会では「この世で大事なのはお金など目に見えるものではない」と言われます。しかしやはり人は弱いです。でもうちの息子のように生産性がマイナス200%の、わたしたちが手を尽くしてやっと生活が出来るような子でも、わたしたちが息子を愛する気持ちに変わりがないという事に気が付きました。親に名誉や満足感を与えてくれるいい子もいますがうちの息子にはそれが一切ありません。彼が何かを与えてくれるから愛するのではなく、むしろ迷惑をこうむっているのに、上の子と何ら変わらず、存在自体を愛する気持ちには変わりがありません。 そのおかげで天のお父様(神様)がわたしたちを愛してくださっていることに本当に気が付きました。私なんかと思う人もいるかもしれなませんが、天のお父様はそんなことで愛を減らしたりはなさいません。どんな人に対しても、天の御父様が抱いておられる愛には変わりがありません。天のお父様はわたしたちを本当に愛してくださっています。わたしが自閉症の子供を愛するように天のお父様は私たちを愛してくださっているということがわかりました。 お金があったからと言って息子の自閉症が治るわけでもなければ理解してくれる支援者が得られるわけでもありません。息子をしっかりと支えて行こうとすることで、この世で最も価値のあるものはお金や家など形あるものではないということに気づき、主の価値観に寄り添えるようになりました。 大変な経験からしか学べないとしたら、わたしたちが大変な経験をしているのは神様がわたしたちに学んでほしいと思っていらっしゃるということで、ということは神様はわたしたちを愛していらっしゃるということです。 自分にとって「これさえなければ」と思う苦しいこと、つらいことが誰しもあります。しかし人が天に持って帰れる宝というのはそこにしかないと思います。 これからも大変なことがあったら、その経験を愛するようになりたいと思います。