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秀子: 家族, 改宗, 試練, 喜び, 幸せ, 結婚, モルモン.

こんにちは,わたしは秀子です。

わたしについて

いつもたいていは父のお世話をしています。病院に連れて行ったり,掃除をしたり,デイサービスの送り迎えの車を待っていたり。 主人が木工所を経営しているので,手伝いと経理をして過ごしています。簿記1級の資格を持っています。 趣味は,お金を勘定することです。お金があっても無くても,預金通帳を見るのが大好きです。無ければ無いなりに,家計簿でやりくりを色々考えるのが大好きです。

わたしはなぜモルモンなのですか

ある教会員の模範のおかげでわたしもモルモンになりました。素晴らしい方でした。私の長女とその姉妹の長女が偶然同じクラスにいて,おまけに同じ靴を履いていました。しかも家も近所でした。あるとき娘が靴を間違えて履いてきました。そうしたらその方がそれに気付いて「靴,間違えたわよ」と持ってきてくださいました。そのときとても素敵な方だなと思い,色々聞いたらその方がこの教会のキリスト教徒だということがわかりました。「この教会に興味がありますか。」と言われ,「とてもかっこよさそう,聞いてみたいな」と思ったのがきっかけです。 今もこの教会に来続けているのは,この教会が真実で,神様が生きていらして,私が本当に喜びと平安を味わっているからだと思います。この世の喜びとは全然違うもので,本当に心の底から幸せだと思います。 でもここに来るまでが大変でした。 私は喜んで教会の話を聞きましたが,バプテスマを受けるかどうかはすごく考えました。というのも,私も私なりにすごく努力して幸せな家庭を築いていて,その幸せを壊したくなかったからです。宣教師さんには,教会に毎週来てください,と言われました。それまでは日曜日は子供と主人と一緒に健全な娯楽をしていました。でも主人は教会に入りたくありませんでしたから,私が教会員になったら日曜日に家族で過ごせなくなります。これまで築いた幸せが壊れるんじゃないかと思いました。だからバプテスマを受けるのはちょっと考えました。6か月,迷っていました。 その後,宣教師にこう言われました。「内山さんに教えることは全部終わりました。私たちはもっと準備できた人のところに行きます。」その言葉がすごく衝撃でした。そう言われたら不思議なもので,「これでいいのかな,神様が本当にいらっしゃるかもしれないのにそれでいいのかな」と思いました。それではじめて心の底からお祈りしました。そのときに特別な印象を受けて,それで教会に入りました。 でも入ってからが思った通り,大変でした。わたしは日曜日教会に行きたかったですし,神様のことをもっと勉強したいと思っていました。でも,やっぱり主人は家でさびしく過ごしていました。今まで日曜日は家族で健全な娯楽をしていたのに,奥さんと子供たちは教会に行って主人は家でさびしく過ごしていました。それを考えると私も本当にさびしかったです。「教会は家庭を幸せにします」専任宣教師は言いました。でもこの状態は幸せじゃないと思い悩みました。教会をやめたいと思いました。 わたしは主人にこう聞きました。「もしお父さんがあることを始めて,頑張ってやろうと思ったのにそれを途中でやめるのはどうかしら。」すると主人は,「それは絶対だめだ,一度始めたら最後まで続けなさい」と言いました。励ましてくれたのもやっぱり主人でした。そうかと思いました。わたしは反対されながらも,自分の意志で教会に入りました。だからいくら主人のためとはいえ一度始めたことをやめていいのだろうか,まして神様は生きていらっしゃること本当にわかっているのに,その教会を捨ててまた元の状態に戻ってはやっぱり駄目よね,と思いました。もう少し頑張ろう,そしてできる限りもっといい奥さんになろうと思いました。 それで月日は流れ,今,33年過ぎたら,教会の教えは家族にとって本当に素晴らしいものとなり,家族が幸せなものとなりました。言葉では言い表せない最高の幸せと喜びがあります。こんなに大切な家族だから,家族のためにやめようとも思いましたが,家族のために教会に来続けて,忍耐して来てよかったなと思いました。試練を乗り越えた時にはじめて最高の喜びを味わえるんだなと思いました。 あのころはつらかったですが,娘は 2人とも神殿で永遠の結婚をしましたし,本当に素晴らしい伴侶に恵まれました。それは本当に幸せです。教会に入っていなかったら,あのような神権者に巡り合う機会はありませんでしたから,すごい祝福です。そして教会に反対していた主人が,バプテスマを受けると言ってくれました。そのときはバプテスマを受けるって言ってくれた時は,ものすごく嬉しかったです。

個人の体験談

祈りはどのような方法で答えられてきましたか。

祈りはすぐに叶えられるときと,なかなか叶えられないときがありますが,最終的には一番よい方法で叶えられます。それはなぜかというと,やっぱり神様の愛があるからです。すぐ叶えられたらわたしは怠け者になってしまいます。叶えられないときは,本人はとても苦しいかもしれません。親の気持ちになると,子供が苦しんでいるのを見るのはすごくつらいと思うのですが,神様はそれをご覧になっていて,でも愛のために,すぐには手をお貸しにならないこともあります。でも,すぐ祈りに答えられなくても,最終的には,自分が思っていた以上に素晴らしい形で祈りが叶えられるということがわかりました。

あなたの生活に影響を与えた救い主の教えにはどのようなものがありますか。

その日、父を病院に連れて行くために石巻へ行きました。帰り道に目が疲れたので、松島のコンビニの駐車場を借りて仮眠をとっていると、突然激しい揺れがきてとび起きました。家に帰らねばと思い、車を走らせて多賀城の八幡辺りまで来るとひどい渋滞になっていました。防災車が「10mの津波がくるので逃げてください」と言っているのは聞こえましたが、ここは海岸近くではないし大丈夫だと思いました。歩行者はみんな歩道橋に登っていて私たちの方を指さしています。車に乗っている私には見えなかったけれど、すぐ後ろに津波が来ていたのでした。 「これは何?」 飲み込まれた時、それが津波だとすぐには認識できませんでした。何秒かして津波だと気づき、すぐに両サイドの窓を開けました。夫の知人の経験から、水害にあったらエンジンが止まる前に窓を開けなさいと聞いていたからです。何とか脱出しなければと思いながら浮いた車の中から様子をみていると、長い棒が流れてきました。私はそれを取り、水深を測りました。とても背が立ちません。やっと背が立つ所まで流されたので窓から脱出しました。脱出する際、思い立って車検証をバッグに入れました。後にそれが大変役に立ちました。 胸まで水につかりながら歩いていると、「助けてください」という声が聞こえました。車の中に大人3人と子供3人が乗っていたのです。後部窓を内側から割って子供たちを出そうとしているところでした。辺りを見回すとちょうど子供3人くらいが乗れる家具が流れてきました。それに子供たちを乗せ、車から這い出したみんなと一緒に引っ張りました。途中で深みにはまり首まで水につかって泥水を飲んでしまいました。 濡れて汚れたまま歩いていると、手招きをして呼んでくれる人がいて家に入れてくれました。消防団の団長さんのお宅でした。ストーブで暖めてくれて、おにぎりをくださり、着替えもさせてくれました。その日は他の被災者たちも一緒にそのお宅に一泊させていただきました。消防団長さんは夜中まで救助に出かけていらっしゃったようです。 翌朝、自宅を目指して歩き出しました。45号線を歩くつもりでしたが、所々水で遮断されている箇所があったのでそういうところは線路を歩きました。大勢の人が線路の瓦礫をよけながら歩いていました。「頑張ってね。」と声を掛けてくれた人もいました。しばらく行くと、長年会っていなかった人とばったり出会い、運よく車に乗せてもらえました。 やっと自宅に着くと、夫はわたしが死んだかもしれないと心配していました。家は半壊の状態でした。ご近所では食料が不足し、特にデイサービスのお年寄りが困っていました。わたしは食料をたくさん貯蔵していたので、それを差し上げることができました。喜んでいただき、とてもうれしかったです。 今回の災害を通して、備えることの大切さを学びました。そしてみんなで助け合い、大変なときを乗り越えました。たくさんの物を無くしましたが、たくさんの事を学びました。 (冊子『東日本大震災 被災地からあなたへ』(One Step〈ワンステップ〉著、同社 刊)より抜粋)

わたしの信仰生活について

教会では,今は子供たちを教えるクラスの責任をいただいています。とっても楽しいです。子供はにぎやかですが,でもレッスンをよく準備して,神様の御心にかなってレッスンができますようにとよくお祈りして,楽しくレッスンすると,子供たちは集中してくれます。そのときはすごく嬉しいです。 大人は黙って聞いてくれますが,子供は率直です。楽しくないとすぐに表情に表れます。いたずらしたりもします。そういうときは自分で評価しなおして,よし今度はこういう風にしてやろう,と改めます。子供とのたたかいです。どうやったらちゃんと聞いてくれるのか,考えます。それがすごく楽しいし,とてもやりがいがあります。だから聞いてくれた時にはやったー!と思います。 教会に入っていないときにはわからなかった喜びを感じています。永遠の喜びと平安です。子供を育てるときの正しい価値観もこの教会にはあります。わたしも子供を育てるときに本当に苦労しました。何が正しいのだろうと思いました。子供は小さいときに教えたことによって左右されるので,母親としてはすごい責任でした。これが正しいというのが教会にはあるので,本当に素晴らしいです。