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内澤 正浩: 工事, 現場監督, 50代, 男性, 渓流釣り, 読書, モルモン.

こんにちは,わたしは内澤 正浩です。

わたしについて

僕は50歳代前半のシングルです。 僕が今携わっている仕事は、ガソリンスタンドなどの地下に埋設されている燃料油等を保存しているタンクの補修工事(ライニングといいます)の現場監督責任者です。工事期間は1週間から2週間くらいで、工事が始まるとその工期中は休みがありません。しかも出張が多くて、あまり家にいることが出来ません。でも、工事と工事の間にまとまった休みを取れることが時々あります。 渓流釣りと、料理をすることと、本を読むことが好きなのですが、最近読書しか出来ていなくて、少し寂しいです。

わたしはなぜモルモンなのですか

最近では、仏壇や神棚の無いお家も増えてきているようですが、僕の育った家にはどちらもあり、子供のころから毎日それに手を合わせる日々を過ごしてきました。多分僕ぐらいの年代の人だと普通の家庭の風景だったと思います。特別に信仰心があったわけでもなく、習慣としてただ手を合わせていただけのことだったと記憶しています。でも、大きくなるにつれて宗教というものに次第に興味がわいてくるようになり、社会人になってから宗教に関する本などを読んで自分なりに理解しようとしていました。でもそれは、現世での自分の利益を得るための不純な動機からだったと記憶しています。 それでも世の中にたくさんある宗教において、教えの大きい部分、根っこの部分とでも言いましょうか、それが自分にはどれも同じことを言っているのではないかと感じられたのです。 色々と調べていくうちにどうも聖書がもとになっているらしいことに気づき、それではと聖書を読んでみたくなりましたが、なかなか聖書は手に入りませんでした。 そんな中、ある1冊の本と出会うことが出来ました。ネットでその本を見つけた僕はすぐに取り寄せて、あっという間に読み終えてしまいました。 この本は、およそ普通の人には理解できないような文章や、言い回しの多いことで知られている、あるいは週末預言としても有名なヨハネの黙示録を中心にした解説書のようなもので、僕のようなものにも理解が出来るようにやさしく書かれていました。そしてこの本を書いた人に興味を覚え、彼が末日聖徒イエス・キリスト教会の教会員だということがわかり、今度はこの教会について知りたくなり、ネットでホームページを見たり、また外部からはどのようにみられているのだろうかということを、ウイキペディアや様々なサイトを通じて見てみました。 驚くことに、良いイメージより悪いイメージをもって見られていることが多かったのですが、何故か僕にはそう思えなかったのです。というか誰かが、この教会は正しい教会に間違いない。と言っているように感じ、悪いイメージの意見を信じてはならない、という思いが浮かんできました。 すると今度は、教会の人に教会のことや、教会が教えていることなどを聞きたくなり、どんな人が教会員なんだろうと興味が出てきて、教会のホームページから、モルモンに会うという項目を見つけたくさんの人のメッセージを聞き、すると次は、宣教師に実際に会って話を聞きたくなって、宣教師に会うというボタンをクリックしてしまったのです。(この時、仕事の間隔があいて、少しまとまった休みが取れていました) でも、待てど暮らせど宣教師からの連絡は来ません。そうこうしているうちに、また仕事で出かけることになり、「とうとう来なかったな、縁がなかったのかなこの教会と」などと考えていました。そしてその現場が終わり、家に帰ってきて、荷物を運ぼうとしていた時に、二人の人影が見えました。もう夜で暗くなっていたため顔も見えませんでしたが、もしかして・・・・。想像は当たっていました。人懐っこい笑顔を浮かべた宣教師たちでした。 僕はうれしくなり、すぐ二人を部屋に招き入れ話を聞き始め、帰りには次のレッスンを申し込んでいました。 彼らは非常に熱心にレッスンをしてくださり、やがて僕はバプテスマを受け、正式に教会員になりました。 様々なところで、神様は僕に道を示してくださいました。でもその示してくださった道を選ぶのも、違う道を選ぶのも、どちらにも行くことが出来るように神様は選択の自由を与えてくださいました。一方は、天に通じる善の道、もう一方は救われることのない悪の道です。僕は救われることを望み、善の道を歩むことを選びましたが、人は神のように完全ではありません。時には間違ったことや悪いことをしてしまいます。そうした時に僕は、その都度悔い改めをするようにしています。心の底から悔い改めれば、慈悲深い神様は許してくださいます。僕たちを助けてくださいます。そしていつも見守っていてくださいます。神に頼ってください。 教えや、戒め、律法を守り、信仰を貫くことは、楽なことではないかもしれませんが、僕はそれを楽しむように心がけていますし、実際、聖文を研究し、勉強できることは本当に楽しいのです。神様に助けられています。 僕はそのことが本当であると知っています。イエス・キリストが今でも生きておられて、私たちと伴にあるということを信じていますし、それが本当であると証します。天の御父である神の偉大な計画に、御子であるイエス・キリストの贖いに感謝しています。

個人の体験談

希望とは何であり,あなたはどのようなことに希望を持っていますか。

希望とは、救い主であるイエス・キリストのことを、強い信仰をもって最後まで(肉体の死が訪れるまで)耐え忍ぶなら、神は私たちに「永遠の命」を授けてくださるということに、ゆるぎない信頼を寄せることです。 私たちの将来にこんな素晴らしいことが待ち受けているならば、それを喜んで待ち望むことができるとおもいませんか? 希望の無いところに信仰は生まれません、信仰の無い希望はあり得ないのです。 私たちが希望を持つとき、すべての事が自分の為になるんだと信じて、そのことに確信をもって、自分に与えられた試練や問題に勇気をもって立ち向かうことが出来るようになり、また落胆をも乗り越えることが出来るようになります。 神様は、その人に乗り越えられない試練を決して与えられません。希望をもってそれに立ち向かっていきましょう。そして試練を乗り越えたとき、大きく成長することでしょう。

わたしの信仰生活について

僕は教会員になってまだ間もなく、自分の為にもなると思いセミナリー(簡単に言うと、青少年向けの勉強会です)に参加して、青少年たちと交流しています。(休みとかの日程が合う時) また、教会主催の英会話教室にも参加して、場を盛り上げながら英語を学んでいます。(全然しゃべれないですが(笑) )  先日、教会のオープンハウスがあり、それに少しですがお手伝いをすることが出来て、とても嬉しかったのを覚えています。 時間が取れるときは、極力宣教師のレッスンを受けるようにしています。それは、彼らが僕たちにとって、身近にいる良いお手本となってくれているからであり、彼らを見習うことにより信仰を強く、深く出来ると信じているからです。実際彼らは身をもって、信仰や、愛や、奉仕について教えてくださいます。 少し前にホームティーチャーの召しを受け、二人の方のティーチングを始めたばかりですが、宣教師の方々を見習いながら、その二人の方々には何が必要とされているのかを神様の助けを得ながら見極めて、愛と奉仕のこころをもって接していくことが出来たら良いなと考えています。 イエス・キリストを模範として、少しでもイエス・キリストのような特質を得ることが出来るように、日々学んでいます(まだまだ全然得られていないですが・・・(笑))。