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千秋: 専業主婦, フィギュアスケート, 改宗者, モルモン.

こんにちは,わたしは千秋です。

わたしについて

アメリカ人の主人について、22年ほど前アメリカに越してきました。次女が産まれてすぐ、心臓病を持っていると気づき、そのまま入院することになりました。手術をすれば生きられると思っていたのですが、心臓病は個人によって独特な病気で、私の娘は手術の甲斐もなく、4ヶ月で亡くなりました。でも娘が生きていた4ヶ月は、悪夢のようでありながら、私の人生の中で一番貴重で幸せな期間でした。たくさんの人に祈りと愛情をもらい、小さい奇跡をたくさん見た、神様を一番近く感じた日々でした。21年経った今、悲しみは無くなり、愛情は増すばかりです。また会える日がとても楽しみです。 私には、生きている娘が4人いますが、彼女らに加え、自分の子供のように思える人たちがいます。それは、何年か前に我が家に来てくれたフィギュアスケーター達です。娘達が小さかった頃、フィギュアスケートが盛んなコロラド州に越してきました。厳しい訓練をこなすオリンピックを目指す選手達のお世話をしているうちに、彼らが皆んな自分の子供のように特別な存在になりました。その時はじめて、自分が世話好きな人間なのだと初めて気づきました。 でも3年前に、主人の仕事の関係でテキサスに引っ越してしまい、お世話ができなくなりました。とても寂しかったのですが、そんな私の気持ちを察して、主人と子供達が頑張ってくれ、今年またコロラドに戻ることができました。いつかまたスケーターが来てくれるよう、ホストファミリーのお手伝いができるよう、楽しみにしています。

わたしはなぜモルモンなのですか

私は、典型的な無宗教の家庭に生まれ、宗教は気味の悪い物だとおもって育ちました。そのイメージを変えたのは、主人と教会の宣教師やメンバーの人たちでした。初めて主人にあった時、かれは自分がモルモンだということを話しませんでした。でも、誠実で、優しく、正直で働き者の彼を見て、初めて尊敬できる若い男性だと思いました。ですから、彼がモルモンだと聞いた時は、とても驚きました。モルモン教は気味の悪い存在だと思っていたからです。それから、教会に行き、素晴らしい人たちにたくさん出逢い、自分も彼らのような人間になりたいと思い、モルモンになる決心をしました。 でも、良い人を見るだけでは本当のモルモンにはなれません。モルモン書が真実だと知ることはできません。私がモルモンである理由は、バプテスマを受けた後の、ある出来事がきっかけです。結婚してからしばらくして、わたしは自分がモルモン書が本当に神様から来た物なのか、神様が本当にいるのか、確信がないことにとても罪悪感を感じるようになりました。そこで、私はモルモン書に書かれていることを実行して、確かめてみることにしました。 ”また、この記録を受ける時、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなたがに勧めたい。もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあながたがに明らかにしてくださる。”(モロナイ書10章4節)。 この言葉のように、私は主人が家を出てから、部屋の鍵を閉め、一人膝間づいて祈ってみることにしました。”神様、本当にいますか?モルモン書は真実ですか”と言葉に出して聞きました。しばらく祈っているうちに、熱い物がこみ上げてきて、涙が出てくるのに気付きました。そして、自分の言っている言葉が ”モルモン書が真実でないわけがありません”と変わっているのに気付きました。その瞬間から私はこの書物を否定できないのです。 モルモン書は、毎日の生活の中で私たちを導いてくれます。辛いとき、楽しいとき、どうしたら分からないとき、すべての中で助けを与えてくれます。思春期を迎えた娘が酷い言葉を私にはいたとき、モルモン書の中の預言者リーハイの言葉が目の前のページに現れました。リーハイは私の娘よりも手のかかる息子たちが二人もいました。それでも彼らを愛し、腹を立てずに接しました。私も、腹を立てないようになりたいと思いました。 モルモンの教えは時として、厳しいとか、変わっているとか思われがちですが、私はその教えのおかげでとても守られていると感じています。この教会は、神様の本当の言葉を教えてくれます。本当に、幸せになれる道を照らしてくれます。自分たちを幸せにしてくれるので、自分たちを誰よりも愛してくれる神様の元に戻れる道を教えてくれるので、私たちはモルモンなのです。

わたしの信仰生活について

教会は専業主婦の私にとって素晴らしい機会をたくさん与えてくれます。それは、”召し”といって、教会の指導者が祈りを持って、特定の人に責任を与えるからです。 私の一番好きな召は、子供達のクラスを教えることです。小さい子供達は、純粋で愛情をたくさん持っています。息子のいない私ですが、私がコロラドに引っ越すと聞いてとても悲しんでくれた8歳の子がいました。彼がくれたハグは一生私の宝物です。 時として、自分が苦手だと思っていた召しが与えられることもあります。十代の女の子のクラスの会長になるよう召されたことがあります。背の低いどちらかというとシャイな私にとって十代の女の子達は苦手な存在でした。でも、そんな彼女達を愛するように、召されたのです。とても大変な責任でしたが、今の時代の若い子達がどれだけストレスのたまる生活をしているか、精神的に学校や家庭でプレッシャーのたまる状況にいるか、知ることができました。そんな彼女達や家族と体当たりで接することで、最後にはお互いに尊敬できる関係が気づけたことに感謝しています。自分の娘が思春期を迎えたときにも役たちました。若い子を教える召しは、楽しいこともたくさんありました。一番思い出になったのは、300人参加を想定したダンスパーティーの企画を頼まれた時です。私はそんなこと計画した経験はないのですが、若い子達とどんなパーティにしたいのかテーマを決め、インターネットでたくさんのアイディアを集め、ポスターを作り、たくさんの時間をかけ、準備をしました。結果、とても素敵なパーティーになりました。自分では無理だと思っていたことが成功し、新しいことに挑戦することができるようになりました。 神様は、自分よりも私のことを知っておられ、たくさんの可能性を実現させてくれます。神様を信じ、戒めを守ることで、たくさんの”奇跡”を見ることができます。