mormon.org 世界各地
教会の人たち
わたしたちの価値観
わたしたちの信条
教会を訪問する
.

聖霊はあなたをどのように助けてこられましたか。

  • The Holy Spirit has a very specific role in bringing us closer to Heavenly Father. As explained in the Bible, the Holy Ghost is a spirit of truth, He is a comforter, A witness, A guide. If we turn to Heavenly Father, The Holy Ghost will direct us to His will. The Holy Ghost has guided me and has comforted me when i was on my search for truth, He told me where i should turn, what i should accept as truth, and has entirely changed my life. Turn to the Holy Ghost, the feelings and promptings you have in your soul.... When you feel it.. you'll just know..you cant deny it. 表示件数を増やす

  • 上記のように、悔い改めをするときに、罪を告白すべきかどうか教えてくれました。 表示件数を増やす

  • わたしは幼い頃から個人の祈りを通して創造主と意思を伝え合う珍しい特別な経験をしてきました。多くの場合,主に助けを求め,悩み事への答えを受けるとき,平安と慰め,導きを感じる気持ちや思いに満たされました。幼い頃,雨が降る暗くて寒い夜,恐怖に襲われて目が覚めたときのことを思い出します。恐れを鎮めてくれるよう神に願い求め,信仰をもって祈ると,恐れが遠のき,深い平安に満たされ,温かな気持ちになり,平安が戻ってきました。そして後には,主がその場に,わたしの近くにおられ,主は本当にわたしを御存知であること,わたしは主にとって大切な人であり,主はわたしを愛しておられ,わたしに最高のものを望んでおられることを知って,安堵感を覚えたのです。そのようなわけで,信仰を持って主に願い求めることはどのようなことについても,主は聖霊を通してわたしに答えてくださいます。また,何か自分にとって大事なものを失い,それを見つけられるように助けてくださいと必死に懇願することがあります。そこで,既に探した場所へ戻ってもう一度探すと,見つかる場合が多くあります。でもそれは祈る前ではなく後で起きるのです。後に成長して,自分が若い男性に関心や特別な気持ちを抱いたときに,天の御父に導きを求めました。自分が幸せになるために,最もふさわしい人を見つけられるように助けを求めたのです。そのつど,わたしは答えを受けました。多くの場合,ノーという答えでした。でも,ただ一度だけ,イエスという答えを受けました。その日は何とすばらしい日だったことでしょう。 表示件数を増やす

  • 私が困っていたり間違ったことをしようとするときいつもそれは違うよって教えてくれます。そしてそれに気づき、やめたときにすごくいい気持ちを感じます。聖霊に感謝しています。私の友達が「聖霊は友達だから友達のゆうことを聞かないと友達がすごく悲しむよ」このようなことを言っていました。これを聞いたとき聖霊を無視している自分がいたのでショックだったのを今でも覚えています。それから以前に比べて聖霊の導きを大切にするようになりました。完全に従っていると言うことはできませんが、従ったときに私は今主の御心にかなう事ができていると感じます。また、主の愛を感じます。いつも聖霊が静かな細い声で語りかけてくれています。それに従うことが難しくても従ったときにたくさんの祝福があることを証します。これらの証をイエス・キリストの御名を通して証します。アーメン 表示件数を増やす

  • 聖霊の賜物はわたしの人生に大きな慰めをもたらしました。わたしは常に聖霊の力を感じ,主の導きに感謝しています。友達に電話をかける,特定の活動に参加する,財政的な決断をする,試練を乗り越えるように子供たちを助けるなどのありふれた日々の出来事に,常に聖霊の導きを受けてきました。ちょっと歩みを止めて,受ける思いや促しに耳を傾け,導きに従って行動するなら,天の御父の御心にかなうことを学びました。 表示件数を増やす

  • 神は,聖霊を通じて助けてくださり,わたしが家族の中にあって,仕事において,そして教会で奉仕をすることにおいて正しい選びができるように助けてくださいます。 表示件数を増やす

  • 聖霊は私の思いを神様の思いと一致させることですごく助けてくれます。 旧約聖書のイザヤ書55章9節には、天が地よりも高いように神様の思いも私たちの思いよりも高いとあります。   これまでたくさんの人生の試練に会ってきて人生が嫌になってしまったときも、実は神様が私になにか大切なことを学んでもらうよう導いてくれていたのを聖霊を通して知りました。 父のガンが発覚して、余命もあとわずかと知った時、それは私と私の家族にとって大きな試練でした。 なぜこんなひどいことが起こるのを神様はゆるしているのだろうと始めは思いました。 父の闘病中、私たち家族は父を励ますためにまたお互いを励ますために、とても互いを思いやるようになり、愛情を表現するようになり、家族としてとても一致をすることができました。 また父が亡くなってからも「私と父はもう会えないのだろうか」と失望を覚えてながら、思いをはせるようになっていたときに、この教会で「私たちが義人であれば、また家族とともに永遠に過ごすことができる」という教えが深く心に沁み込んできたのを覚えています。父が亡くなって以来、この教えについててさらに強い望みと信仰を持つようになりました。  そして、今、この信仰と望みが私の教会員としてふさわしくあるための大きな力となってます。 ある日、聖霊を通して、私と私の家族のこれらの経験は私たちが家族としてより団結するための機会、家族の一人一人が福音にさらに大きな信仰と希望をもつことができるようになるための経験だったと知ることができました。 聖霊はこのように私たちが神様が見ている、より高い視点から物事を見ることができるように助けてくれました。 表示件数を増やす

  • バプテスマを受けた当初、教会に行くために何人かを車に乗せて運転していました。当時は2月で雪が積もり、タイヤで雪が掘れてわだちができていました。運転していると突然「止まりなさい」という声がはっきりと聞こえました。後ろを振り向いて「誰か何か言ったか」と聞いても誰も何も言っていませんとの応え。その声を無視して走っていると、また同じ声が聞こえました。今度は無視せずに車を停めました。一緒に乗っていた人たちが不思議に思っています。そのままでいると正面から車が来て私たちの車に衝突しそうになりました。そしてブレーキをかけて滑りながら減速し、お互いのバンパーが接触するくらいで済みました。 当時はその声が何なのか全くわかりませんでしたが、後でそれは聖霊、御霊の声だということがわかりました。聖霊の導きは本当に重要であることがそのときによくわかりました。その後も類似する経験がたくさんあります。 表示件数を増やす

  • 教会のもっとも核心的な部分です。日々聖典やテキストを読み、祈ったりするのも自分のこの世の生活において必要なアドバイスを聖霊の導きによって受けるためなのです。新たな目標を決めたり、進路を決定したり、現在の学業・事業について導きを得たり、結婚相手を決めるとき、ビジネスパートナーを決めるとき等々あらゆるときに助けをもらえます。人の考えで行動すれば一時的に良くても長い目でみれば為になっていません。しかし全知全能の神様からの導きを聖霊を通して受けられるならばどんなに勇気と希望と確信が持てることでしょう。わたしは家族を導くときや仕事、健康安全などについて日々思いめぐらせ、その思いが正しいか確認したいときに聖霊の導きを祈りによって求めています。言葉ではなく頭と心全体に感じ取れますし、良いアイデアが浮かんできます。そのようにして日常困難や試練にあっても乗り越えてきています。 表示件数を増やす

  • 自分が本当に不十分でふさわしくないと思って落ちこんでしまうということはやっぱりあります。でもどんな時の私に対しても決して諦めないでいてくれて、愛してくれるのがイエス様です。イエス様の贖いの力は私が思うよりももっと力強く、私がする必要があるのは自分のパートを一生懸命やることだけです。あとはイエス様が引き上げてくれるという信頼があります。 私は伝道中に祖母を亡くしました。祖母は別の宗教をとても熱心に信仰していて、キリスト教が大嫌いでした。姑として私の母に辛く当たっていたことも知っていました。でも、やっぱり憎めない私の祖母でした。祖母の方も私には特別な信頼を感じてくれていて、私が一年半の伝道のため日本を発つときにも、高齢ではありましたが「伝道から帰るのを待ってるからね」と言って私を送り出してくれました。しかしもう少しで伝道の期間を終えて帰るというときに、祖母は亡くなりました。とてもとても、ショックでした。どうしてあとたった数週間待ってくれなかったのかと思いました。でも、実は他界する1年以上前から、祖母は寝たきりになっていたのでした。別の宗教に熱心だったで、頑固で厳しいあの祖母が寝たきりになり、息子の嫁の助けに頼り、賛美歌を歌い、一緒にお祈りをして、アーメンと言うと聞いた時には「あのおばあちゃんが?!」ととても驚きました。「幼な子のように」なるという主の言葉がそのときまさに祖母に起こっていたとわかりました。そしてやっと福音を受け入れる準備ができたから天に召されたのだと感じました。そのことは慰めをもたらしてくれました。 イエス様の贖いというのは、私たちが考えや常識を超えた方法で働いていきます。本当に「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(『旧約聖書』伝道の書3章11節)と感じました。 表示件数を増やす

検索結果なし