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人々を祝福するようにあなたの才能や賜物を使うにはどうしたらよいでしょうか。

  • 愛と進んで奉仕することは, ほかの人の生活に大きな変化をもたらすために重要です。 表示件数を増やす

  • 先日仕事でカンボジアに行きました。カンボジアでは小学校、中学校に子供を行かせるにもお金がかかり、お金持ちでない子は小さい頃から家で働いています。世界中にいるそうした子供たちのために何か援助がしたい、と妻と話し合っています。 表示件数を増やす

  • (東日本大震災被災に関して)教会で教えられていたとおり、貯蔵をしていたので何も困ることはありませんでした。水は 10 リットルのポリタンク 180 個ほどを貯蔵していたので、地震翌日から洗濯もできました。近所にも配ることができました。食料もたっぷりあったので、寒い所スーパーに並ぶこともありませんでした。ガスも卓上コンロがあり、ガスボンベも 100個近くあったので、ガスの開通まで間に合いました。 姉の家は水が出たので、新鮮な水をもらってきて、近所に配りました。また後にはポリタンクも近所に配りました。隣近所助け合って震災を乗り越えたという感じです。主の教えに従っていれば、非常時でも、受けるのではなく奉仕する側になれるということがわかりました。 表示件数を増やす

  • 一つだけ提案すると、朝、昼、夜、すべてのお祈りの時に、一つの願いを祈りの中に入れます。 「天のお父様、どうか、私に私の助けが必要としている人を示して下さい。」 あとは、感謝の祈りを探し、聖典を読み、預言者に従います。 表示件数を増やす

  • サーフィンを教えることを通して,自分の才能を分かち合うときに,才能に対する感謝の気持ちが深まることを知りました。 表示件数を増やす

  • 小児科医および新生児蘇生インストラクターとしての技術があることで,自分の時間を割き,これらの原則を使って,苦しんでいる新生児の命を救う方法をほかの医師や看護師に教える手伝いをすることができます。また,教会は新生児の命を救うために使ってもらうべく,すべての病院に機材を寄付しています。田舎の貧しい地域で働いているブラジルの医者がいました。彼は教会が開催したコースの一つに出席した後でこんな話をしてくれました。コースの行われる1週間前に,彼らの診療所で新生児が生まれましたが,息をしていませんでした。しかし,その新生児を助ける術もなく,死んでいくのを見守ることしかできなかったというのです。しかし,コースに出席し,モルモン教会から医療機器を寄付された今,治療介入することも救助することもできず,新生児が死んでいくのを手をこまねいて見ているだけということはなくなりました。才能を使うことで,わたしは全世界の新生児の命を救うことができています。 表示件数を増やす

  • 世界中で見られるアンティークのレース用オートバイのクレイモデルを造っています。造形スタジオがユタ州にあると分かると,人々は教会について話し始めます。 表示件数を増やす

  • わたしは子供のころから看護師になりたいと思っていました。……だれかが傷ついているのを見たら,そこにいて助けたいと思ったのです。このようなわけで,大学で看護課程に進むことを決めたとき,家族は特に驚きませんでした。わたしは看護師であることを喜びとしてきました。特に子供たちの看護に携わるようになってから,母親のような役割を果たす必要があったからです。わたしは人の体と,神が人の体に置かれた目的に感動しています。特に重病の子供を扱う方法について一生懸命学んでいます。けれども,助けを必要とする人々に手を差し伸べるときに最も大きな満足感を味わいます。子供を入院させることは親にとって何よりも心配なことだと思います。そのような家族を助けることは喜びです。働いている間は家族から離れていますが,仕事に献身することによって心のバランスをとっています。仕事で遭遇する難しい状況に立ち向かうときに,すべての人のための大いなる計画の存在が助けになります。命ははかないものであることをよく知っています。命を救うためにできるかぎりのことをするのがわたしの仕事です。けれども,すべては主の御心に従うほかないことを知っており,……主の計画により,大きな慰めを受けて,仕事を続けることができます。 表示件数を増やす

  • 東日本大震災当時、私は仕事で内陸にいたので津波による被害は受けませんでした。しかし激しい揺れにその日の業務は中止になり、私は自宅のある石巻に向かいました。どこも車がいっぱいで動かない中、回り道をしてなんとか自宅から8kmくらいのところに戻りました。そこでは車はみな高台に登っていましたし、人もがやがやと騒いでいて、道路は冠水していました。何が起こったのかよく理解できず、変な光景だと思いました。車が途中で動けなくなったので諦めて建物に避難させてもらい、結局そこに3日間泊まりました。寒く食べ物も少ないところ、ひとつのパンを3,4人で分け合いました。その後道路が崩壊していたので迂回して歩き、3日後くらいにやっと帰れました。幸いなことに、家族は無事でした。 教会は被災した人々の支援のために動き出しましたが、そのお金や人手をどこに向ければよいのか判らず、私のところに電話が来ました。私は地元の人間として復旧・復興をするための色々な施設や道具を紹介して、地域に食料やあるいは寒さをしのぐストーブや毛布などを救援に来た人たちと一緒に運んだり、運ぶ手はずを整えたりしました。これは人同士のネットワークがうまく機能した仕事でした。 そして、全国からたいへん大勢の方が炊き出しなどに来てくださいました。その人数は日本にもこれだけの人がいるのかと思うくらいでした。日本はまだまだ捨てたものではないと思いました。 ただ、フィリピンから日本が受けた支援は7,500万円くらいだったかと思いますが、台風30号に襲われたフィリピンに日本がとりあえず送ったお金は1,000万円くらいです。フィリピンだけでなく台湾からもとてもたくさんの支援を受けています。日本はこんなに助けてもらっているのにほかの国の人が困っていても案外関心が薄いのではないかと思います。これからも多くの国で色々な災害が起きるかもしれませんが、そのときにどの程度の支援が可能でどこまでするべきなのかということを考えさせられました。 東日本大震災から3年が経ちました。1,2年目はほとんど変化はありませんでしたが、3年目になると家が建ち始めたりと変化が見えてきました。大がかりな区画整理などはまだまだこれからの状況です。 表示件数を増やす

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