mormon.org 世界各地
教会の人たち
わたしたちの価値観
わたしたちの信条
教会を訪問する
.

日常の活動について考えてください。はじめから結果が分かっていない場合に,あなたは何に基づいて毎日行動しているでしょうか。信仰は行動をどのように駆り立てているでしょうか。

  • 毎日は、神様の祝福です。よく考えると、生きていることも、空気があることも、家があることも神様かからのプレゼントです。そして、何よりも、神様は、私が一番成長できるような最良の人生の計画を持っています。いつでも、神様の戒めを守り、よいことをしていれば、たとえ自分にとって大変なことが起きても、それは、神様が与えてくれた成長の機会だと感謝して楽しく過ごすことができます。 表示件数を増やす

  • 2011年3月11日、東日本大震災があった日、私は宣教師との会う約束があったのですが歯の治療のためキャンセルしていました。治療を終えて、どうしても教会に行く必要があると感じ、スーパーで食べ物を買い、教会に行きました。結局宣教師との約束に間に合い、教会で食事もしました。 そのとき買った食べ物を、教会にいた方に「後で食べてください」と何も考えずに差し上げました。その後、地震が来ました。 私は食べ物を差し上げたことをすっかり忘れていましたが、後日その方とお会いしたときに「あの時にくださった食べ物で私は助けられました。何も食べ物がなく、停電して、福島には真夜中にようやく帰りました。ありがとうございました」とお礼を言われました。そうだ、そのようなことをしていたなと思い出し、イエス様が私を使ってくださったのだと感謝しました。 表示件数を増やす

  • 良いと思えること、良いと考えること、良いと感じていることに従うようにしています。 表示件数を増やす

  • わたしは今まで生活から得たいくつかの知識や経験があります。これらは生活を豊かにし改善するための助けとなります。また毎日の生活で正しい選択をする助けにもなります。一方でこれから何が起こるかわからないということや、物事がうまくいくかどうか悩むときがあります。資格試験の受験や病気との闘いから人間関係や日常の小さな出来事まで様々です。わたしは毎日、祈ります。神様に日々の生活の感謝の気持ちを示すのとともに、助けを求めます。「わたしが今できる限りのことを行うのでどうぞお助けください。」神様が助けてくださると心から信じて祈ります。このように『まだ見ていない真実のことを待ち望むこと』を信仰と言います。わたしは信仰を持って祈ることで平安な気持ちで生活をすることができます。信仰があれば希望があります。信仰はあらゆる試練や苦難を乗り越えるための大きな助けとなります。わたしは教会の指導者であるゴードン・B・ヒンクレー大管長の言葉が大好きです。『努力を続けましょう。信じましょう。幸せでいましょう。失望しないでください。万事うまくいきます。』 表示件数を増やす

  • 自分がこうしたいと思うこと、主は私に何を期待しているのか、自分には何ができるのかを思いめぐらします。そして、決意することで祈る時に、自分が思っていること、行う決意をしたことが主にあって導かれるように、主に相談します。 信仰は、希望です。 表示件数を増やす

  • 信仰はまだ見ていないものを信じることです。 たとえばわたしが土曜日に友達と一緒にランチに行く約束をしたとします。 彼女はわたしが現れることを信じます。 わたしが本当に来るかどうかはわかりませんが,料理や掃除をすることによって,彼女はその信じる気持ちを強めていきます。 わたしは自分の家族と一緒に永遠に住むことができると信じたいです。 ではどのようにしてそれを信じる気持ちを強めることができるのでしょうか? わたしは家族とよい関係を築くために最善を尽くすことができます。 赦し,愛を示し,尊敬することができます。 わたしには家族と一緒にいたいという望みがあるので,そのゴールに向かって努力をし,家族が自分にとって大切であるということを示すことができます。 表示件数を増やす

  • 東日本大震災のとき、私はテレビを見ていました。あと3-4分で最終回のドラマが終わるという「いい時」に、突然画面がかわり「緊急地震速報!!」という張り詰めた声とともに、不安げなあのピロピローンというサインが鳴り響きました。そして、プッツン!停電。さあ、地震がくるぞと思い、いつも近くに置いてあるヘルメットをかぶり、机の側に寄ったとき、激しい揺れがきました。しゃがんでいるだけで精一杯でした。左右に揺れるだけでなく、ぐるぐるとかき回すような揺れでした。電気の傘は天井にぶつかり、押入れの襖がはずれ、布団や荷物が飛び出し、ベランダの網戸も飛びました。本も水平に飛びます。「これが宮城県沖地震?本番かな。」と思いながらも長く揺れるに任せていました。揺れながら祈っていました。「神さま、どうぞ、子供たちを守ってください。」あの子達はどうしただろうか。関東も揺れただろうか。すぐに携帯に飛びついて、「ママたち無事」と長男に送信しました。ひとりだけでも連絡しておけば、そこから伝わるだろうと思ったのです。このときは、まさか東北全部の携帯の基地局が壊滅したとは考えていませんでした。やはりすぐに通じなくなりました。 我が家はたいていの家具やレンジの下に5㎝2のラバーマットを四隅に敷いていましたので、それらはひとつも倒れませんでした。結局、壊れたものは土鍋と植木鉢だけでした。しかし家の壁にひびが大小20箇所くらい入り、アパート敷地には長い地割れができていました。半壊でした。 その夜は大きな余震が続き、よく寝られませんでした。すぐに飛び出せるよう鍵をかけないで寝ました。停電しているのでとても寒く、使い捨てカイロを両足裏に貼って寝ました。アパートの住人で避難した人もいました。家屋がつぶれるおそれがあるので一度、車で寝ようとしましたが、寒くて狭くてとても寝られませんでした。落ち着いて睡眠がとれないことは、すべてのことにマイナスになります。ライフラインが復活しお風呂に入れるようになっても余震はたびたびあったので、バスタオルの横にヘルメットを必ず置いて、さっさと入浴しました。ちっとも、休まりませんでした。 私はペットボトルの水や食料や紙類を貯蔵していたので、ライフラインが止まっても、店が開かなくても困りませんでした。 なによりも気持ちが平安でした。けれどもガソリン不足は考えていませんでしたので、自分がすぐに誰かを助けに行かれないことを本当に残念に思いました。 表示件数を増やす

検索結果なし