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家族の問題を福音の原則によって克服した具体例がありますか。

  • 以前はささいなことで家庭内に問題がおきていました。しかし、聖典に記してある、天のおとうさまの愛にあふれた戒めを守り、そして、御子イエス・キリストの教えを忠実に守り、そして、聖霊のおかたの導きを受けられることに感謝しています。このこと、すなわち福音を受け入れたことにより、毎日平安が得られ、穏やかな楽しい生活をおくれることです。 家族を愛することです。 選択の自由は、より正しいこと・より善を選ぶことです。 表示件数を増やす

  • 私の家族は家族の時間でした。 私の家族は個人の時間を大切にしていました。 自分の部屋で自分のしたいことをする。といったものです。 お母さんが一緒にテレビ見ようといっても集まらなかった時がありました。 しかしこの教会の教えは家族を集中しています。 家族で祈るようにとか、家族で聖典を読んだりとか、家庭の夕べ(週一回家族が集まって一緒にイエスキリストの教えを学んだり、遊んだり、おいしいもの食べたりする時間)するように進めています。 本当に家族を大切にしています。 なので私たちがこのイエスキリストの教えを実践し始めたので家族の時間が増えました。 一緒に祈りました、一緒に聖典読みました、一緒に遊びました、学びました。 本当に私の家族はこの教えから祝福を受けたと思います。 今では気持ち悪いぐらい兄弟とかの仲がいいみたいです。 表示件数を増やす

  • 私は数年前に主人を亡くしました。主人が亡くなってからしばらくは立ち直れませんでしたが、毎週教会に行くことによって、聖霊の力に励まされてきました。思い出すと辛い時もありますが、今は元気に生きることができています。 『新約聖書』にはこのような言葉が書かれています。 「…それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。(ルカによる福音書22章32節) 最初は難しかったのですが、今はそれができます。 将来私も地上での人生を終えたとき、霊界で主人に会えることを楽しみにしています。私たちが必ず復活するということ、ふさわしければ永遠の生命を得られるということを証したいと思います。 表示件数を増やす

  • 17歳のとき,わたしは自己免疫疾患と診断され,その後の人生が大きく変わりました。これまでの 15 年間, この病気にならなかったら,わたしの人生はどのようなものとなっていただろうか,と何度も考えてきました。自分が得られない機会や達成できない人生の目標があることに落胆することがありました。反面,神について,そしてこの世に生きる真の目的についても考えてきました。この世のいちばんの目的は肉体を得るため,そして霊的に成長するためだと信じています。病気のおかげで,やりたかったことをたくさんできなくなりましたが,霊的に成長するうえでは助けになりました。神が問題を与えられるのは,わたしたちが今より良い人になれるようにするためです。この成長の機会に感謝しています。神への信仰がなければ遂げられなかったことでしょう。 表示件数を増やす

  • 6年前に家内が病気で右半身マヒになり、ほぼ寝たきりの介護が必要な状況になりました。仕事をしながらの介護で行政の援助や教会の皆さんの支援で何とか生活できるようにはなりましたが、やはり体力的にはきついこともあり、半年くらいしてからイライラすることもあり家内につらく当たるとそんな自分が情けなく思え、自己嫌悪になったり精神的にもつらい状態がしばらく続いたころ、教会の機関誌を読んである記事が目に留まりました。自分と同じような経験をしているかたのお話が載っていたのです。この記事がきっかけでイエス・キリストの贖いの力をこれまで以上によく理解することができ、イエス様に頼ることの大切さや素晴らしさを実感するようになりました。もし、この福音を知らなかったらと思うと怖い気持ちがあります。ほんとにイエス・キリストの福音によって救われました。今は家内の介護が自分のこの地上での役割であり、この経験を通して必要なことを学ばせてもらっていることを心から感謝しています。将来、あの時ああしておけば良かったと後悔しないようにと心がけて日々の生活を送っています。この福音が真実であり、人々に本当の意味での幸せをもたらすものであることを証します。 表示件数を増やす

  • 脳に障がいを持って生まれた息子の母親として,たくさんの試練を経験しました。息子は,ほかの子供と同じように成長することも,人生の大切な節目を経験することもありません。友人と一緒に過ごすこともできません。意思を伝えるのに苦労したり,いらいらしたりすることもあります。 そのような息子が,大いに人生を楽しんでいます。わたしたちが地元の末日聖徒イエス・キリスト教会に再び活発に出席するようになって以来のことです。生涯で初めて,息子は自分を愛し大切にしてくれる学校外の友達ができました。教会の子供たちは,息子を理解し,助け,支えてくれます。教会で楽しい行事が行われるときには,息子がそのような新しい友達と外で時間を過ごす姿を見ることができるようになりました。 息子は自分の選択に対する責任を取ることができません。責任が取れないので,イエス・キリストが払ってくださった犠牲により,息子はバプテスマを受ける必要がないということを知りました。息子は天の御父の特別な息子です。この小さなすばらしい霊を世話することができると,主から信頼していただいていることは大きな祝福です。このような知識を得ることができ,心から感謝します。 息子は教会が大好きです。教会の人たちが大好きです。ほかの子供たちと一緒に歌うのが大好きです。わたしたち家族はたくさんの祝福にあずかっています。イエス・キリストの福音に従った生活を送っているからです。わたしたちが家族で毎日聖典を読むようになるまで,息子は字を読むことができませんでした。信じられないことですが,言葉を何度も繰り返し,文字を目で追ううちに,息子は一人で聖典を読み始めたのです。息子にとっては実に大きな前進です。母親のわたしにとっては大きな喜びです。これは福音に従った生活を送ることによって経験した多くの祝福のうちのほんの一例です。 以前は,なかなか将来の計画を立てることができませんでした。息子がどうすれば世の中を渡っていけるのか,よく考えたものです。どうすれば息子が自分の生きる目的を見いだす手伝いができるか考えました。今はすばらしい支援のネットワークに恵まれています。息子は生涯初めて仲間ができ,いつも学び,成長しています。 表示件数を増やす

  • それから2年半が過ぎ、1978年7月にこの教会の青森支部で支部会長の召し(責任)を頂きました。高校を卒業し、ようやく自動車のセールスの仕事に就いて、辛うじて生計を立てておりましたが、展示会等が非常に多く、安息日をきっちり守る事は困難でした。支部会長の召しを受けた以上今のままで良いはずがないと思い、転職を決意しました。  20歳でひとみ姉妹と結婚し、長男が誕生する3ヶ月程前に勤めていた会社が倒産しました。貯えがない我が家で、給料が5ヶ月程前から遅配や半額支給が続き、食べるものも底が尽き、賞味期限の切れたものでも何でもトライする状況でした。家に帰ると両親が背中を丸めてひっそりとたたずんでいます。電気を付けても本当に暗い雰囲気の部屋だった事が忘れられません。今となっては楽しくも良い思い出になっています。  それでも什分の一の戒めは守りたいと思いました。本音は納めなくてもどうにもならないこの状況下でしたので、どうせ納めるのであれば、1 / 10とは言わず思い切って1 / 3や1 / 2の支給される分から納めました。  年金の無い両親、看護学校に通っていた妻、間もなく生まれて来る子どもの事。そんな状況の中で妻はいつも励ましてくれました。「食べ物なら何とかなるから、仕事を探すときは安息日をきっちり守れる職場を選んでね。お金がないからといって、高い収入を得るために安息日を守れなければ意味がない。支部会長の召しを一生懸命果たしてね」・・・・涙が止まりませんでした。  そんなある日、宣教師から食糧を頂きました。いくら問い詰めても私たちではないと彼らは認めません。しかし、一番後輩の宣教師に尋ねると都合悪そうに認めました。生涯宣教師へのお返しをしなければならないと決意しました。  青森支部の大勢の兄弟姉妹から助けて頂き、結果、普通に給料を頂いていた時よりも、食べるものも切らす事なく与えられていたように思えます。家族へ感謝、宣教師へ感謝、支部の会員へ感謝、そして神様に心から感謝しています。 表示件数を増やす

  • 16年間,心から愛するすばらしい人と結婚生活を送ってきました。5人の可愛い子供と一緒に遊ぶことが大好きです。一番上は女の子で,あとの4人は元気な男の子です。親子で楽しく過ごし,一緒にいる時間をいつも楽しんでいます。2008年1月1日,家族で休暇を過ごしているとき,4歳の息子のラッセルがそりの事故で亡くなりました。わたしたちは呆然となり,衝撃を受けました。信仰や感情の極みを超える経験でした。帰宅の計画を立てていた次の瞬間には,葬儀の計画を立てなくてはならなくなりました。 夫のカークとわたしが救急治療室で息子に別れを告げていると,慰めに満ちた天の御父の存在を感じることができました。悲しみでやつれはてていましたが,二人ともこれが家族に定められた天の御父の計画の一部だと確認する強い気持ちがありました。どれほど深い心痛を感じていたかはとうてい説明しがたいものですが,同時にわたしたちへの天の御父の愛を確かに感じていました。わたしたちの悲しみに対する御父の心づかいと思いやりを感じることができました。それはあたかも,主が御腕に抱き,一緒に泣いておられるかのようでした。わたしたちは幼い男の子と別れ,文字どおり主の御手にゆだねました。それはわたしたちにとって神聖な瞬間でした。 その日以来,わたしの人生には多くの浮き沈みがありました。正直言って,浮くよりも沈むことの方が多い日々でした。この喪失を乗り越えることは,わたしにとってきわめて難しいことでした。かつて経験したことのないうつ状態に落ち込みました。ベッドから這い出るようにして起きる日々,あきらめてベッドに横たわる日々が続きました。 息子の命を救おうとむなしい努力をしてくれた医師には感謝していますが,息子が死ぬのを見たわたしは,心的外傷後ストレス障害に苦しむことになりました。パニック発作,不安の増加,睡眠障害,生活適応障害などでした。子供たちにとって良い母親になることは困難でしたが,最善を尽くしました。 辛かった最初の1年間,天の御父に心を打ち明けて話すことに多くの時間を費やしました。時には御父に対する怒りをぶつけることもありましたが,それでもわたしに対する御父の強い愛を感じて驚きました。ラッセルがいなくなってどんなに悲しんでいるか,どんなに淋しいかを語りました。どれほど深い傷を受けたか,ほほえむことがいかに大変なことかを御父に言いました。そして語るのをやめて,耳を傾けました。すると御父の気遣いと思いやりを感じて驚きました。ゲツセマネの園で救い主が経験したに違いない苦痛を今までよりも深く理解することができました。御子が十字架上で亡くなるときに,天の御父が流したに違いない涙を,たとえごくわずかであろうと,理解することができたのです。そして,わたしたち皆に対して天の御父と救い主が持っておられたに違いない愛に深く心を打たれました。だからこそ,あのような激しい苦痛と苦しみに耐えて,わたしたちがみもとへ戻ってともに住む道を開いてくださったのです。 わたしには聖文が息づいているように思われるようになりました。よく知っている話から新しい情報がわたしの心に飛び込んでくるのです。これまでに思ってもみなかった洞察が開けて,偉大なことを教えてくれるのです。イザヤ 61章1節で,主は「心のいためる者をいや[す]」ために来ると約束しておられます。またイザヤ 61章3節で,「灰にかえて冠」を,「悲しみにかえて喜び」を約束しておられます。イエス・キリストの福音を通して,また天の御父とのつながりを通して,わたしは癒され,その冠を与えられ,その喜びを感じ始めています。 表示件数を増やす

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