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バプテスマについて教えてください。

  • 以前,末日聖徒イエス・キリスト教会が神の真実の教会であるかどうかを知るために断食して祈りました。すると,そのとおりだという答えを受けたので,バプテスマを受けなければならないと思いました。権能を持つ神権者により水に沈められ,過去の罪から清められたと感じて水から出た日のことは決して忘れられません。 表示件数を増やす

  • ヨハネによる福音書3:5 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない。」 マタイ3:13ー17 イエスは私達に模範を示される為にバプテスマを受けられました。 2二ーファイ31 私達は正しい権能によってバプテスマを受けることにで罪から清められ、また主と聖約を交わします。私達はバプテスマを受けた後も戒めを守り続け日々キリストの模範に従う事を約束します。神様は私達がこれを行うなら祝福をくださると約束してます。 表示件数を増やす

  • バプテスマとは、これからも神様に従うことを儀式によって神様に示すことです。 水に沈め、起き上がります。それは死と復活を象徴しています。 バプテスマを通して、私たちの罪が清くなり、新たな生活が始まります。 表示件数を増やす

  • 2001年にバプテスマを受けました。それはとても興味深いことで,カトリックとして生活してきた自分にとっては新しいことばかりでした。家族と妻もバプテスマ会に出席しました。 表示件数を増やす

  • わたしは,モルモン書を読み,すばらしいモルモンの宣教師からレッスンを受けた後,23歳のときにバプテスマを受けました。それはわたしの人生で決定的な瞬間,イエス・キリストの模範と教えに従う新たな始まりへの入り口となりました。35年たった今でも,バプテスマを受けたときの感動とその経験に伴う平安な気持ちを覚えています。バプテスマの日以来,多くの才能を培い,友人や隣人に奉仕することで個人的な成長を経験し,豊かな祝福を受けてきました。今までと同様,これはすばらしい旅であり続けるでしょう。 表示件数を増やす

  • それはすばらしいものでした。 表示件数を増やす

  • わたしは10歳のときバプテスマを受けました。ワイオミング州にいる家族を訪ねて行ったときのことです。そこで母と叔母が,白いシーツでわたしをくるみました。シーツの真ん中を切り取って頭を出し,腰にひもを巻くと,バプテスマの衣装になりました。クロー・クリークの雪解け水に足を踏み入れたとき,わたしは凍えて死んでしまうのではないかと思いました。8月の終わりごろでしたが,水は1月の水のようでした。体を完全に沈められてから起き上がったとき,膝まで冷たい泥土に埋まっていました。叔父が急いでわたしを川岸に引き上げて,温かな毛布で包み,丸太の上に座らせてくれました。そのときわたしは,聖霊について理解するようになりました。聖霊は神会の御一人で,慰め主として知られている御方であると教えられていました。温かな毛布にくるまってそこに座っていたとき,まるで慰め主の愛に包まれているように感じたのです。聖霊はわたしにとって,その賜物を受けるにふさわしくあるかぎり,そばにいてくださる天の友でした。毛布にくるまりながら,聖霊に包まれるときにどれほど温かい気持ちがするかを感じ始めました。聖霊を受けると,残りの生涯にわたって,あの温かな毛布に包まれているかのように,温かさと安全と平安を感じていられるのだと分かりました。これまでの人生で最もつらい時期に,慰め主御自身から慰めを受けたことが何度もありました。わたしは,日々,聖霊を受けるのにふさわしい生活をするよう努力しています。正しいことを選び,危険を避け,かたくなな心や悲しむ心を和らげるようにという促しはすべて,あの日,クロー・クリークの冷たい水でバプテスマを受けたことによって得られた祝福です。 表示件数を増やす

  • あなたもそうかもしれませんが,わたしは小さいときにお姫さまごっこをしたました。ドレスをまとい,頭に王冠をつけ,手につえを持ち,王家になった気分で部屋の中を悠然と歩きました。楽しい遊びです。あなたもその気持ちを覚えていますよね。 わたしは8 歳のときにバプテスマを受けました。今でもそのことをよく覚えています。どのような気持ちがしたか覚えているからです。白い洋服を着て,教会の礼拝堂のベンチに座っていました。隣には父がいました。父も白い服を着ていました。わたしを連れて水の中に入り,わたしのバプテスマの儀式を執行してくれたからです。わたしの罪が洗い清められる直前,その日神がきっと天から見守っておられると(8歳の幼い心の中で)確信しました。神がわたしを見ておられ,誇りに思っておられると信じていました。そう考えるとよい気持ちになりました。 8歳の子供が心配するのはどんな罪だろうと思うかもしれません。しかし,わたしは生まれてからずっと,自分の思いや行いに責任があることを教えられて育ちました。人を傷つける行動や,考えなしに過ちを犯すことは,間違った道に進む最初の一歩だと教わったのです。バプテスマを受けることは,この世の人生の後,神のもとへ戻るための最初の一歩だとわたしは信じています。 わたしは最善を尽くすことを望むように,そして内面ではできる限りいつも堂々と立つように,そして最良の自分であるように教えられたのです。だれでも間違いを犯します。幸福への道,そして自分を改善する道は,すぐに過ちを認め,それを解消するためにできることを行い,相手または祈りの中で過ちを告白し,努力を続けることです。 バプテスマは,わたしを高貴で高慢なお姫さまの気分にしたのではなく,自分が気高く特別な存在であることを感じさせてくれました。自分が正しい道を進んでいると分かりました。よい気持ちがしました。 表示件数を増やす

  • イエス・キリストはバプテスマについて聖典では次のように述べられています。「イエスは答えて言われた、『よくよくあなたに言っておく。誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない』。イエスは答えられた、『誰でも、水(によるバプテスマ)と(火と聖)霊(によるバプテスマ)とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれる者は肉であり、霊から生まれる者は霊である』。」(ヨハネ3:3-6)そして、イエス・キリストは自らバプテスマの方法を模範によって示されました。「その時イエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、(バプテスマの)ヨハネの所に来て、バプテスマを受けようとされた。ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、『私こそバプテスマを受ける筈ですのに、あなたが私の所においでになるのですか』。しかし、イエスは答えて言われた、『今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、我々にふさわしいことである』。そこでヨハネはイエスの言われる通りにした。イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊が鳩のように自分の上に下って来るのを、御覧になった。また天から声があって(天の父なる神が)言った、『これは私の愛する子、私の心にかなう者である』。」(マタイ3:13-17、3ニーファイ11:21-40)「おお、それで、私の愛する同胞よ、聖者なる主(イエス・キリスト)のみもとに来なさい。主の道が義にかなっていることを覚えておきなさい。見よ、その道は人にとって狭いが、人の前に真っ直ぐであり、門を守る者はイスラエルの聖者(イエス・キリスト)である。聖者はここには僕を使われない。またその門(バプテスマ)を通る以外に、他の道はない。そしてその御方を欺くことはできない。その御方は、主なる神だからである。」(2ニーファイ9:41)「あなたがたが入らなければならない門とは、悔い改めと、水によるバプテスマである。そうすれば、火と聖霊によって罪の赦しが与えられる。その時、あなたがたは、永遠の命に至る細くて狭い道にいることになる。まことに、あなたがたはその門から入っている。あなたがたは(天の)御父と御子(イエス・キリスト)の戒めに従ってこのように行っている。またあなたがたは、御父と御子について証をされる聖霊を受けている。こうして、その方法によって入るならば受けると主が約束された、その約束が果たされたのである。」(2ニーファイ31:17-18,ヨハネ15:26-16:15)その時に、天の御父なる神と交わされるバプテスマの聖約は次の通りです。「あなたがたは神の羊の群れに入って、神の民と呼ばれたいと願っており、重荷が軽くなるように、互いに重荷を負い合うことを望み、また、悲しむ者と共に悲しみ、慰めの要る者を慰めることを望み、また神に贖われ、第一の復活にあずかる人々と共に数えられて永遠の命を得られるように、どのようなことについても、どのような所にいても、死に至るまでも神の証人になることを望んでいる。まことに、私はあなたがたに言う。あなたがたが心からこれを望んでいるのであれば、主から益々豊かに御霊を注いでいただけるように、主に仕えて主の戒めを守るという聖約を主と交わした証拠として、主の御名によってバプテスマを受けるのに何の差し支えがあろうか。」(モーサヤ18:8-10)水に沈められるバプテスマの意味について預言者であるジョセフ・スミスJr.は主からの啓示として次のように述べています。「水によるバプテスマの儀式、すなわち死者の有様に応じるために水に沈められることに、栄光と誉れ、および不死不滅と永遠の命があります。死者の有様にそって水中に沈められるのは、一つの原則が他の原則に一致するためです。水中に沈められ、そして水から出て来ることは、墓から出て来る死者の復活に似ています。したがって、この儀式は、死者の有様に似ているので、死者のためのバプテスマの儀式と関連するように制定されたのです。」 表示件数を増やす

  • ごく単純なことでした。姉と一緒にいて,平安を感じました。あらゆる問いに答えることはできませんでしたが,重要な問題に答えることができました。そして神を信じる信仰がありました。時が経てば,そのほかのあらゆる事柄が明らかにされるという信仰がありました。 表示件数を増やす

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