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わたしはなぜモルモンなのですか

  • 看護学生時代に宮沢賢治の本をたくさん読んでいました。その中に、あらゆる生物に本当の幸福を与えたいと思っている「宇宙意志」というようなものがあるという考え方か、それとも世界は偶然にできて、それは科学的に説明できるという考え方か、どちらを選ぶんだろうと書いてありました。宮沢賢治は宇宙意志を選ぶと書かれているのを読んだとき、私も宇宙意志を選ぶなあと思いました。 その頃、人間はどこから来て、何のために生きて、死んだ後どこに行くんだろうという疑問の答えを探していました。家に聖書があったので、なぜかはわかりませんが、手に取って読んでみました。これは真実だとわかりました。聖霊の導きだったと思います。ちょうどその頃、母はアメリカ人の宣教師から『モルモン書』をプレゼントされていました。私は、聖書があるからモルモン書は要らないと思いましたが、ちょっと読んでみました。すると、これも真実だとわかりました。そして宣教師の話を聞き、ジョセフ・スミスは真実なのか、人間はどこから来て、何のために生きて、死んだ後どこにいるかということを学び、教会に行くようになりました。 表示件数を増やす

  • 高校1年生の時クラスで「無料で英会話を教えてくれるところがあるよ」という話を聞き、友達と一緒に大勢で行ってみました。そのころは有名な画家のアトリエに宣教師が住んでいて、英会話もそこで教えていました。 その後教会にも行ってみました。『モルモン書』も勉強して、「教会に入りたい」と思い、宣教師に「バプテスマを受けます」と言いました。 当時は17歳くらいでしたが親にもすんなり了承してもらい、友達と一緒にバプテスマを受けました。バプテスマの日は12月で冬だったので、銭湯でバプテスマを受けました。 バプテスマの前「本当にわたしのしようとしていることは正しいのだろうか」と少し悩みました。 そこでモルモン書を読んでみたところ、「わたしは間違っていない。この教会は真実の教会だ」と確信し、当日は晴れ晴れとした気持ちでバプテスマを受けました。 表示件数を増やす

  • 私の両親がモルモンでモルモンの教えを幼い頃から学んでいました。その教えが自分の人生の基盤にであると感じています。 表示件数を増やす

  • 親の影響で毎週教会に行きながら、福音を学んできました。 ふつうに毎週教会に行っていましたが、今では自分にとって信仰はゆずれないものです。 わたしはイエス・キリストが生きていらっしゃることを知っています。 福音を大切にしています。 だから故意に自分から、この道からそれることはできません。 賛美歌を歌ったり聞いたりするときに、特別なよい気持ちを感じます。 表示件数を増やす

  • この教会の教義が全ての疑問の答えを教えてくれるからです。 そしてみんな優しいです。 表示件数を増やす

  • わたしはモルモンです。なぜなら,末日聖徒イエス・キリスト教会が絶対的に真実であることを知っているからです。救い主イエス・キリストはこの教会の頭であり,わたしは主に信頼と信仰を寄せることができます。 わたしにとってモルモンとは,自分の家族を第一にして,永遠に続く家族のきずなを築くことを意味します。わたしにとってモルモンとは,救い主イエス・キリストとそこに包み込まれるすべてに従うよう努めることです。モルモンとは,大切なことのためにこの世のものを犠牲にすることです。 わたしにとってモルモンはすべてです。なぜなら,まことの平安と喜びを生活にもたらしてくれるからです。わたしはそのことに心から感謝しています。 表示件数を増やす

  • 私の祖父母の両側には何年も前に教会に入ったし、両親には, キリストの福音の原則を信じる信仰について教えてくれました。わたしはとこしえにお世話に彼らの優しさと空間と自分のために神がおられ、, わたしたちのすべてをかけておられることを知るには機会を与えてくださったことをするで 。教会は, 私はさらに善いことを行うと, より良い父親や夫になる機会を与えています。 表示件数を増やす

  • イエス・キリストの教えを生活することによって喜び平和や希望を感じられます。またわたしはモルモン書を読んで深く考えました。そしてモルモン書は神様のみ言葉であり真実であることを学んで来ました。イエス・キリストの福音をとして絶えることのない幸せを受けられます。 表示件数を増やす

  • わたしはモルモンとして,人に奉仕する真の道と,同胞がわたしを必要とするときに自分をささげる方法を見いだしました。 表示件数を増やす

  • 「モルモン教会で英会話をやっている」と友達に言われ、行ってみることにしました。 行ってみると、すごくおもしろかったです。 当時の英会話の生徒たちはみんな目的を持っていました。 銀行をやめて弁護士になりたい、留学したい等々、そうした目的意識が刺激になりました。 英語の先生もいたので、異文化に触れていられました。 宣教師の英語はナチュラルなので、すごく勉強になりました。 アメリカに旅行したらあんなふうに聴こえるのかなーと思ったりと、学校では得られないレッスンでした。 当時の英会話の友達とは、今も一緒にランチやコンサートに行ったりと親しくしています。 その後教会の宣教師から話を聞くようになりました。 私の行っていた高校はキリスト教系でした。 聖書の時間もあったし賛美歌も歌っていたので、教会の宣教師から話を聞くことは自然でした。 いつか教会に入りたいとは思っていましたが、自分が教会員としてふさわしくなるためにはもっと勉強が必要だと思っていました。 当時教会の人たちは完璧だというイメージを持っていたので、自分はそれには程遠いから勉強してからだと宣教師には言っていました。 でも勉強するうちに「人は完璧にはなれない」ということに気が付きました。 聖典にはバプテスマ(教会に入るための儀式)についても書いてあります。 勉強しながら、いつかは自分もバプテスマを受けるんだろうな、とは思っていました。 それがいつかは神様が決めてくれるのかな、とも思っていました。 でも宣教師にはバプテスマを受けるように求められても、断り続けていました。 あるとき宣教師に「5月28日にバプテスマを受けてください」と言われました。 それである日バプテスマを受けることについて1日考えてみることにしました。 ずっとCDを聴きながら考えていると、午後になると約束をしていた訳でもないのに宣教師たちが家に来ました。 そのときに「バプテスマを受けます」と宣教師に言いました。 宣教師はびっくりするほど喜んでいました。 その場で賛美歌を歌ったり、自分の背広に花を入れたりして喜んでいました。 彼らも私が教会に入るとは思っていなかったのだと思います。 神様のなさることは時にかなって美しいと思います。 表示件数を増やす

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